カテゴリ:赤不動明王院便り( 336 )

先祖供養の大事

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私達が忘れがちなのが、先祖供養である。
今、私達が存在して居るのは、親が居て、御先祖様が居たからなのです。

数学的見地から観ても、私達が個々に存在出来るのは、千人以上の先祖が居たからです。
その先祖を忘れ《親も含めて》唯、一人で大人に成れた訳ではありません。

よく、開運を願う人がおられますが、先祖をないがしろにして開運など無い事を知って頂きたい!

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例えば、あなたが誠心誠意尽くした人が、あなたを忘れて自分が一番と豪語し、傍若無人に振る舞いました。
やがて運尽きて苦界に彷徨い、怨みの中に喘ぐとき、あなたは救いますか?
本気で反省した者には救いの手を差し伸べるかも知れませんが、生半可な者に差し伸べますか?

その逆に、普段から仏を尊び、先祖を敬う者が窮地に陥った時、あなたが先祖なら黙って居られますか。

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南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
自分がいま存在しているのは、誰のおかげか?
それは、振り返っても目には見えない沢山のご先祖さまたちがいてくださったから。
様々な人生を背負い、必死に生き、親を思い、子を育て、老いた親の世話をし、生業に汗をかいてきたからこそ…です。
大戦もありました。
それでも命の灯を絶やすことなく、今を生きている私たちまでつなげて下さったのです。

御先祖さまたちが、遠い未来の子孫の事をお考えになったことがあるかどうか、私にはわかりません。
ただ、今を生きている私たちは、確実にご先祖さまを想い、感謝することが可能です。
感謝の形には沢山の形があります。

毎日仏壇に手を合わせる、季節の花を活ける、一本の線香を手向ける、墓参りをする。
これらは一般的にすぐ思い浮かぶ方法ですね。

しかし、自分の親を大切にする、子どもを慈しんで育てる。これも脈々と続いてた命に対する敬意を払う事にもなりはしないでしょうか。
そして何より、自分が誠実に生きること、ご先祖様に心配をかけないこと。
もっと積極的に、安心して喜んで頂けるような人間になるよう、日々精進していくことも立派な先祖供養ではないでしょうか。

今日もありがとうございます

慈優



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by masumi-inari | 2018-02-23 06:00 | 赤不動明王院便り

魔の刻

誰でも経験があると思いますが一度ある事は、二度、三度とあった事。
良い事で有れば歓迎だが、良くない事が続いた時、あなたならどうしますか?
①気にせず過ごす。
②一日、嫌な気持ちで過ごす。
③用心して早めに家に帰り、静かに過ごす。

これは、③が正解である。
昔から間を外す《魔を外す》なのである。

意地を張り通すなら、好きな様にやれば良い。
但し、それに寄って人生を無茶苦茶にした事例を私は沢山見て来ました。

例えば《実話である》私が、君は一週間以内に事故《自動車》を起こすから、一週間は自分の運転に細心の注意を払うか、運転自体を自粛しなさい。
と、注意したことがある。
そうしたところ、裏で嘲笑っていたのである。

彼は3日後に事故を起こし、大変な償いをする事になったと親御さんから聞かされた。

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その他、行ってはいけないパワースポットに行った事例。
他の者が落として行った物に憑依され、その後の人生を無茶苦茶にされた女性達。
私は、パワースポットは性が合えば安全だが、合わない事もある、と再三再四、言い続けて居る。
が、未だにパワースポットに無防備な状態で行く人が後を立たない現実に、警鐘を鳴らして居る。

簡単なものは、簡単な結果しか得られ無いのである。
真摯に修行を重ね、向き合う時に解るで在ろう。

いい加減な、怖いもの見たさは辞めましょう。

パワーなどと言うカタカナ言語を捨て去り、日本語の持つ言霊を真摯に學ぶ時、理解出来ます。

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あなたは、何方を選びますか?

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

私を含め、人間というものはとかく目先のことにとらわれ、性急に結果を欲しがるものです。
その浮ついた心に、魔や詐欺などは容赦なく、また巧みに忍び込みます。

本来自分が時間をかけて努力する必要があることを、他人が肩代わりしてくれると分れば、そちらにお願いしたくなるのが人の常です。
「おんぶに抱っこ」という言葉がありますが、自分で出来ることを他人に依存する時、足元を掬われるのは自明の理。

嫌なことがあったとき、人のせいにするとか、聞かなかったことにするとか、人のせいにするとか、ふて寝(寝逃げ)するとか。
責任転嫁、先延ばしの方法はいくつもありますね。
確かに時間を置くことが必要な時はありますが、時間を置いて冷静さを取り戻したら、「自分が考えるべきこと、行動すべきこと」は何か?
を落ち着いて振り返りたいものです。

そのような自助努力があるところに、ご神仏の御計らいの力は働きます。

今日もありがとうございます

慈優


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by masumi-inari | 2018-02-21 06:00 | 赤不動明王院便り

新たな試み

これから真剣に學びを深めたい方々を対象に新たな試みを始めます。
私のがこれから教え様として居る事は、簡単に何々を教えますと言った、インスタント的な事では有りません。

言わば、専門祈祷全般を指す事である。
私も寄る年波、何時迄も現役では無い。
最後には、全てを伝える者が必要であり。
また、私が習い覚えた秘法を伝える為にも、必要である。

当院所蔵の経典群は、全て本物である。
その道のプロである、学芸員が認める文書ばかりであります。

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現在、一部は、我が一門の精鋭に依り、現代語訳にする為、奮闘中である。

何故、現代語訳にする必要があるのか?
私や一部の者は、漢文でも簡単に理解出来ますが、一般の方々はどうであろうか。

密教が理解されず、闇の中にあったのは、漢文とサンスクリットの難解さからである。

密教は本来、庶民救済。
皆さんが救われる為の教義なのです。

一部の特権階級だけが独占出来るものでも、するものでも無いのである。

しかし乍ら、難解なのも事実である。
また、伝授を受けるにも様々な制約があるのも現実であり、在家では灌頂もままなりません。

増してや、本物の経典《秘法》など夢のまた夢である。

何故か?

阿闍梨以上でなければ、観る事も教えて頂く事も出来無いのである。

これが密教界の現状である。
私は、これから庶民の為の密教を確立します。

そして、真剣に學ぶ方々の為に今回から新しい道を開きます。

真剣に學びたい方々は、御一報下さい。
霊視してからお返事させて頂きます。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

毎年まいとし、少しずつ學びの段階が上がっていくというか、深まっていくのを感じます。
よもや自分が塾生になり、弟子になってから、このような日が来るとは思いもしませんでした。

密教は本来、庶民救済。
皆さんが救われる為の教義なのです。

一部の特権階級だけが独占出来るものでも、するものでも無いのである。

という言葉を胸に刻んで、これからも精進していきたいと存じます。

今日もありがとうございます。

慈優




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by masumi-inari | 2018-02-20 06:00 | 赤不動明王院便り

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躾とは身が美しいと書くが、本当の躾とは、立ち居振る舞いを含め、心の躾であります。
幾ら、着飾り、立ち居振る舞いが出来て居ても、心の躾が出来て居ない場合、本当の美しさは表現出来ません。

昔の言葉に、人品骨柄卑しからずと言う言葉がありますが、正に言い得て多恵なるものがある。
金を持ち、着飾り、清楚を演じても、心卑しければ気品無し。

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気品とは、心が織りなすオーラ《後光》である。
オーラなど私には見え無いから関係無い、と考える方は別として、何故、仏像には光背がついて居るのか?

例えば、不動明王尊の光背は火焔。
大日如来尊の光背は円形。
それは、卓越した技量を有する先人達が後世に伝えるべく、能力を屈指して表した、芸術とも言える仕事のおかげである。
何事にも言える事ですが、努力もせずただ安穏として居ても、得るものは無いばかりか、理解も及びません。

光背
後光,御光ともいい,仏菩薩の放つ光明を象徴するもので,仏教彫刻や仏教絵画においては必ずこれが表現されるのはインド以来の伝統である。
仏の光明は色光と心光とに分けられる。

色光とは仏身より外に向かって発せられる光,つまり身光である。
心光とは仏にそなわる智徳円満の光,すなわち智恵光である。

仏は内に智徳が充満することによって,おのずから外に光輝があらわれると考えられた。
仏像仏画に表現されるのは色身相としての光明である。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版

オーラを自身の眼で確かめたければ、訓練をする事である。
弛まぬ努力を重ね続ける事に依り、卓越した技量も身に着くのです。
棚から牡丹餅など無いのだから。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

私は昔、心理学を学び、言語的コミニュケーションと非言語的コミニュケーションがあるという事を教わりました。
興味深いのは、人間は圧倒的に非言語的コミュニケーションによって情報を得ているという事でした。

目は口程に物を言う。という言葉がありますが、まさにその通りだと思います。

上手に取り繕っても、想いや心根は自分の外に滲み出ているのです。
それを波動や色、匂いなどで察知できる人が世の中にはいます。

私もその一人ですが、決してその非言語情報とは侮れないものなのです。

仏は内に智徳が充満することによって,おのずから外に光輝があらわれると考えられたそうですが、我々人間も同様です。
ただ仏と違い、内から外に現れるものは光とは限らないのが、私を含め凡夫が凡夫たるゆえんかなと思います。

自分の内側にあるものが自分の外に滲み出るのであれば、光の種となるよう良きもの、素晴らしいものに触れて自分のものにする行いが必要ではないでしょうか。
それが「學び」だと私は考えます。

仏像には全て意味があります。
腕の数、持物、瞳の位置、印を組んだ手、台座(岩座か蓮華座かなど)。
そのひとつひとつを調べていくうちに、仏教の奥深い教えに導かれていきます。

それは、學びとは楽しいものだと知る瞬間です。

今日もありがとうございます

慈優




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by masumi-inari | 2018-02-18 06:00 | 赤不動明王院便り

同氣法

私は、同氣法については何回も書いて居るが、改めて書きます。
それは何故か。

笑い話しになりますが、私の弟子の慈優との話であります。
様々な経典に関する話の中で同氣法についての話になり、慈優が私に問いました。

『同氣法には、経典があるのですか?』

私は笑い飛ばしました。
経典に無い事を私は教えた事が無いからである!

例えば、同氣法について、僧侶が『あるのなら出して見よ』と言うのなら、一言!

有った場合は、貴方は当院の下で、生涯務める覚悟がありますか?
あるのなら出します。
《当院の所蔵する文献は、全て国家が認める学芸員が本物と認めた文献である》
但し、当院の所蔵する経典群を知らずに誹謗中傷した場合、それ也の償いをして頂きます。


私は本気である!
真面目に學ぼうとらする人々への冒涜を、私は許しません!

話はそれましたが、同氣法の経典はあります。

信用出来ない人は、来たれ!
お見せ申します。
但し、他を疑う行為には必ずお返しがある事をを知らねばならない。
御免なさいでは済まないのが、大人の世界である。


その逆に、真摯に學びたい方々の為には全てを公開します。
そして、多くの方々が真の密教を理解して頂くのが、私の最高の願いであります。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

昨年、同氣法を教わりました。
これを自分のものとすることがいかに大切なのかは、これまで密教塾で學んでいらっしゃる方ならご存じの事でしょう。
しかし、やり方や意味が分かっていても、それだけでは役に立ちません。

繰り返し繰り返し練習し、「ああ、そういうことだったのか」と腑に落ちるように努力することが求められます。

密教には、悩みや願いの数だけ「~する法」なるものが存在すると言われています。
が、そのどれもが数回試しただけで験が現れるようなものではありません。

何度練習しても取り組んでも、さっぱり手ごたえがないとき心が折れてしまいます。
でも、そんな時こそ師僧に教えを頂くチャンスではないでしょうか。

そして躓きが発見になり、自分の成長のきっかけになるのであれば、躓いたことや悩んだことは得難い宝物です。
簡単に習得できないからこそ、見つかる宝物。

そう考えて共に學んでゆきませんか?

今日もありがとうございます

慈優


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by masumi-inari | 2018-02-16 06:00 | 赤不動明王院便り

いよいよ始動

当院所蔵の経典群が、解読班の精鋭によって現代語訳に解読される時が来ました。
当院所蔵の経典群は全て300年以上前の貴重な資料であり、門外不出の資料ですが、密教の普及の為、全て公にします。
そして、真剣に密教を學びたい人々の為に役立てます。

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最早、一部の人間が威張り散らし、有耶無耶な内に煙に巻いて居る時代は終わったのであります。

弘法大師空海が渡来して広めた密教を、誰でも學べる時代なのである。
昔の人は、まず読み書きが出来る人が少なかったので、必然的に経典を解読、理解出来なかっただけであり、古語を現代文と訳を付ければ、誰でも理解可能なのである。
越法だの、馬鹿げた迷信によって他見を免れた時代の遺物では無い、本物の経典を私は世に出します。

当院の資料《経典群》は、博物館の学芸員が見れば本物だと分かるものばかりである!
監修などせずに、原文と現代文をそのまま載せます。

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後は、皆さんの向学心の有無だけである。
もちろん、向学心がある方々には、私が直接指導をします。
但し、不思議好みの方や、商売目的の方はご遠慮下さい。

真剣に密教を學びたい人々の為に、今回から始める事にしたのであります。
人は學ぶ事に依り成長し、學びを実践する事によって解脱も可能になります。

机上の空論を大言壮語する輩は、私の寺には必要無いのであります。
真摯に學びを深めたい方々は、今から私の刎頚の友である。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

ついに赤不動明王院の知的精鋭部隊が本格始動です。
私は総指揮官のため、精鋭たちがどなたなのか全て存じておりますが、いずれ劣らぬ知識人。
聡明で造詣が深く、努力をいとわない勉強家でいらっしゃいます。
またある人は書家、と大変頼もしい限りです。

これだけの類慣れなる人材が一門に集結したということは、まさにご本尊さまのご意思であると胸が熱くなります。

老若男女、貧富の差など一切不問、誰でも學べて、誰もが救われる密教。
師僧の悲願が叶う日は、必ずや近く訪れることでしょう。

そして困難ではあっても、貴い使命を与えて頂き、現世でこの仕事に携われることを心から誇りに思います。

御本尊さまの元、私たちは必ずやり遂げます。

今日もありがとうございます。

慈優

末尾にはなりましたが、これまで密教ブログで度々触れられてきた「秘伝書」についての記事を抜粋しました。
どうぞご覧ください。

密教361 幻の秘法より
密教の秘法は、言わば需要と供給の様な関係があります。
しかし、その需要《要求》は、常にハイクラスの方向けにあった様に思います。
そして、上下関係の壁に阻まれ、結果、幻の秘法とされる法は闇に消えて行ったのです。

私の寺には、幻と成り、一般には、知られてい無い秘法の次第書を数多く所蔵しております《非公開》
この密教秘法の数々を紹介するには、私の様な何処の宗旨宗派にも属さない立場が必要である。

何故か?

会派があれば、派閥や上下関係と言ったしがらみを無視して発言する事は、その世界で生きる事は出来ない事情が発生するからである。
然りとて、独立独歩で生きられるほど僧侶の世界は甘く無いのです。

まして秘法となれば、次第書の入手は不可能である。

次第書とは設計図であり、教科書、解説書である。
其処に伝法が加わる事で、始めて可能に成るのである。
従って、独学は困難を極める。

密教373 私が本物にこだわる訳より
本物があるのに、何故入手する努力をしないのか?
私には、理解する氣はないのが正直な気持ちです。
傲慢と言われようと、私はこの姿勢を貫き通し、弟子に伝えていきます。

密教を志して早四十年を越し、言える事は、本物を探し見極めるには、生半可な事では見つける事も手に入れる事も至難の技です。

しかし、密教の開祖弘法大師空海は、私達に遺産として本物を残してくれているのです。
では、何故出回らないのか?
日本人の権威意識が、邪魔をするのである。

(中略)

入手経路は明かしませんが、本物を求める心は本物を引き寄せるのです。
全ては、求め、努力する事が、最後には本物を引き寄せるのです。

とかく、これで使えるから良い。
どうせ、相手には分からない。
高いから、この辺で良い。

そんな、怠けた考え方がある限り、本物と出逢う事など終生訪れる事はありません。
本物に出逢いたいと思い続け、努力を重ね続ける時、必ず天は味方するのです。

私は、何事も同じであると考えます。
真剣に取り組み、謙虚に理性的に、真摯に目的に邁進する時、必ず道は開けます。

どんな事でも、諦めた時、道は遠ざかり、開かれる事はありません。
諦めず思い続け、努力を重ねる事が最高の早道である。

密教390 解読より
私は今、日本全国の次第書《国宝を含め》あらゆる種類の秘法を解読しております。
解読にあたり一番大切なのは、常に求道者であらねば、道は霞の中に消えるで有ろう。という事である。

今一番、私の興味をそそるのは《国宝の次第書》
真に、興味深い事実が記されている。

例えば、公家、殿様、大名、武士、平民と様々に階級の有った時代。
現代人では、考えも付かない出来事で多くの人々が犠牲になり、死んで逝った時代に、頼るは神仏しか無い時代。
密教は、絶大なる力を有して居たのです。

私が資料を観て、怖ろしく成る時があります。

何故か?
出来るのである。
何百年まえの事が、繰り替えされているのである。

私は今、様々な文献を観る事が出来るようになりました。
何百年も前の文献を読む時、今の日本に危機感を覚えます。




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by masumi-inari | 2018-02-15 06:00 | 赤不動明王院便り

千体仏

私は、チベット密教の僧侶《ラマ僧》と30年前から親交がある。
現在はダライ・ラマに同行し、チベットには住してはい無い。
その事情は、少しでも歴史と国際情勢を知る者なら分かるはずである。

あの時代の弾圧を知った私は、我が身の無力さを恥じて涙した事を鮮明に覚えて居る。

何故いま、千体仏なのか。

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空に輝く星を数えられますか?
千どころでは無い事は、誰にでも解ります。
千を地上に置いた時、一瞬で数えられる人は居ないように、凄い数である。

例えば、密教寺院の千灯供養。
仏教の千灯供養全て、供養心の現れである。

当院では、新たな千体仏供養を予定して居ります。
■ 千体仏とは

千仏ともいうが、正しくは賢劫(けんごう)千仏という。
過去に4人の仏が現れ、将来は弥勒(みろく)以下996仏が出現するという、仏教の千仏思想に基づいて、俗的には仏の力を強めるために、一つの場所に1000体もしくは1000体に擬した多数の仏像を彫刻したり、描いたりしたもの。

洞窟(どうくつ)寺院の壁面、仏像の光背(こうはい)、堂塔や厨子(ずし)の壁面や扉などにみられ、堂内に丸彫り像を安置することもある。
インドのアジャンタ、中国では敦煌(とんこう)千仏洞や雲崗(うんこう)が有名。

日本でも古くから千体仏がつくられ、650年(白雉1)に山口大口費(やまぐちのおおぐちのあたい)が千仏像を刻んだという記録があり、現存する法隆寺の玉虫厨子の内面の千体押出仏がそれではないかという説もある。

長谷(はせ)寺銅板法華(ほっけ)説相図の押出千体仏は7世紀の作例であり、東大寺七重塔内にも押出千仏があったという。
東大寺大仏の蓮弁(れんべん)には過去・現在・未来の三世の千体釈迦(しゃか)、計三千仏が表されており、唐招提寺(とうしょうだいじ)本尊の蓮弁にも同様の絵があった。
また同像の光背は千仏光背の好例である。

平安時代にはごく短時日のうちに画像、立体彫像などで千体をつくる例が多く、摺仏(すりぼとけ)の場合もある。
造像例としては1132年(長承1)の鳥羽(とば)上皇御願の宝荘厳院(ほうしょうごんいん)の千体釈迦像、1176年(安元2)の法住寺南殿小千手堂の千一体千手観音、藤原道長発願の法成(ほうじょう)寺にあったといわれる百体釈迦、百体観音(かんのん)なども著名である。

また現存する京都・蓮華(れんげ)王院三十三間堂のように、1000体の像を安置するための堂をつくる場合も多く、白河得長寿院(とくちょうじゅいん)にも丈六聖(しょう)観音に五百体聖観音を置いた三十三間堂があった。
こうした大きな像以外に一尺(約30センチメートル)余りの小像の例はさらに多く、鎌倉時代に入ると千体地蔵も多数つくられている。
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

それは、チベット密教の僧侶の協力に依り実現します。
今この場では発表を控えますが、他の場所では実現が難しい事であります。

今、私は実現に向けて、奮闘中であります。
これを実現出来る事は無上の喜びであり、皆様に貢献出来ると信じて止みません。

実現出来た暁には、千が二千、星空の様に供養の心が広がる事を祈り、今日も祈りの道に邁進して参ります。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

仏さまの功徳は、夜空に輝く幾千万の星の数をも凌駕するものだと私は信じております。

赤不動明王院で千体仏供養が始まるという事は、どれだけ素晴らしい事なのか、と驚愕すると同時に感動に心が震えます。
完成した暁には、想像を超越した荘厳な雰囲気に包まれることでしょう。

次回いつ赤不動明王院に行けるか全く持って未定ですが、御参りさせて頂くその日を心待ちにしております。

今日もありがとうございます

慈優



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by masumi-inari | 2018-02-11 06:00 | 赤不動明王院便り

密教塾

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私は迷いました。
密教塾の一端をここで語るべきか否かを。
しかし、現状の日本がここまで荒廃して来たのを見て、語ります。

今の日本は、カルマの渦の中にある。
関係無い人を誹謗中傷し、悦に至る餓鬼《亡者》
最早人間の皮を被った、死人である。
理性のカケラも無い輩が闇を闊歩して居る現状は、尋常では考えられません!
この現状を只の言論の自由と思う人達が居るとしたら、日本は遅かれ早かれ破滅するであろう。

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何故か?
正常な判断基準を失って居るからである!
六十を過ぎた爺いが、ボケた頭で考えても解る事が分からない者は、正に餓鬼以下と言わざるを得ない。

私は、私塾、密教塾を通じて《前進、純密學舎》を通じて、たくさんの弟子を拝出して参りました。
卒業生には後に、会社経営者、弁護士、医師、僧侶になって様々な分野で活躍して居ります。
霊界の法則を熟知し、密教の教えを熟知し、各分野で私が教えた事を生かしてくれて居ります。

私は今後、現在の密教塾に置いて、霊界の真理を依り深く指導して行く事を決意しました。
今後、密教塾では、何故、自分がしあわせを求めるのか?
何故、何に視点を当て、掘り下げて参ります。

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全ては、現状の日本人が知らない事である《諸外国は、知って居る》

遅れたり、否定する者は本当の科学を知らない者である
但し、巷で云うスピリチュアルでは無い。
スピリチュアリズムである。
間違え無い様に!

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

密教塾は、単に弟子や行者が師僧に忠誠を誓う為に入っている団体などではありません。
また、法の伝授を受ける権利を持つために入る場所でもありません。
ですから、塾生は弟子や行者、あるいは僧侶でなければ入れない場所ではなく、老若男女どなたでも入って學ぶ事が出来ます。

ただし、こらちは月額3,000円という月謝制度です。
「お金を支払っても學びたい」「學ぶ価値がある」と自ら判断し、決意した人だけが入る學舎です。

事務局の私の元には「通信教育で何が出来るんだ」であるとか、「そんなことで法の伝授が出来るわけがない」という、からかいや誹謗中傷、偵察などを目的として、様々な方から連絡があります。

通信教育で學べるはずがない。という方は、學べないでしょう。
なぜなら、自分に學ぶ意思がないからです。

どんなに師僧の近くにいても、あるいは内弟子として赤不動明王院に住み込みを出来たとしても、教えて頂けることは一瞬で、その一瞬をとらえて自分が努力するしかないからです。
日々のほとんどは、自分の努力によって充実させていかなくては先がありません。

その積み上げがあったうえで、自分の努力がご本尊さまのお許しという基準に到達した折に、赤不動明王院へ参らせて頂いて伝授を受けることが可能となります。
ですから、遠くに住もうが近くにいようが、チャンスは平等であると私は考えます。

日々の努力をするつもりがないことの言い訳に「自分は遠くに住んでいる」を持ち出している時点で可能性はないでしょう。

もっとも修行を目的としない方は、配信される内容を読み、自分で考えたり、そのテーマについて調べたり、仲間と語り合う事で、「自分のこと」として問題を身近に感じることができます。

本を読むのと同じです。

ただ、配信される内容は「どの本にも書いてない、霊的真理」という違いはありますが。


密教塾へのご入会をお待ちしております




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by masumi-inari | 2018-02-10 06:00 | 赤不動明王院便り

荼枳尼天

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荼枳尼天《稲荷神》には様々な逸話があるが、言い換えればこれほど素早く動かれる御神仏も少ないと言えます。
その秘密は御眷属にあると考えます。

御眷属は、皆さんもご存知の白狐。
御祭神の命を受け動かれ、事を成就に導くお姿は、正に献身の一言に尽きます。

江戸時代に爆発的な信仰を集め、日本中に広がりを見せた信仰は他に類を見ないほどであります。
それも全て、御眷属の御祭神に仕える強さの表れである。

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私の経験で言えば、お迎えになられた方々の家は隆盛を極めます。

どんな御神仏でも、折衷して頂けるまではお試し期間と考え、献身的に成る必要があると私は考えます。
お祀りしたから直ぐに良く成ると言うのは、こちら側の身勝手。

例えば、あなたが他人から頼み事をされたとします。
あなたは簡単に引き受けますか、それとも断りますか?
あなたは、様子を見るのでは無いでしょうか。

どんな事でも、まず考えて慎重に進めるのが理性的判断である。
御神仏も同じ事なのです。

但し緊急を要すると御神仏が判断された時は、直ぐに結果が現れる事も多々あります。

また、御神仏にも、得意不得意が存在する事を皆さんも知って置いて頂きたい。
例えば、水難を荼枳尼天《稲荷神》にお願いしても通じません。

神仏の世界にも、法則があるのです。
人間界でも、専門分野があるのと同じである。

全てに共通して言える事は、飽きず、怠けず、続ける事がやがて身を結ぶのです。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

眞澄稲荷のご本尊である純銀製の荼枳尼天像、及び青銅製のご眷属神像を掲載致しました。
これは眞澄稲荷建立に際し、善意の方よりご寄進賜った大変古いもの(ただし新品)と伺っております。

製造後数十年間(ほぼ私が生まれた年と同じくらい)ずっと、さるところの蔵の中で眠っていらしたそうです。
そして昨年、眞澄においで下さりました。
ご寄進下さった方及び、蔵の持ち主さまのプライバシーに関わる事ですのでこれ以上はお話できません。
ただし、ご本尊が無垢である以上、ご眷属神も無垢で、というのは奇跡のようなお導きだと思っております。

私が自分の商売繁盛や家運隆盛の為にご本尊を迎えていたとしたら、きっとこのご眷属神は私の元へお越しくださらなかったと思います。

強い意志をにじませたご眷属神の横顔を拝見するたび、私は行者としての生き方を教えて頂いているように感じます。
そして、稲荷信仰をひとりでも多くの方に広めるという使命を頂いたことを、重く受け止めている次第です。

今日もありがとうございます

慈優



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by masumi-inari | 2018-02-09 06:00 | 赤不動明王院便り

カルマの増加

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政治家から一般人まで、今迄に無いほどのカルマ《因縁》を背負って居る姿が私には視える。
何故これほどカルマを背負って居る人が増えたのか?
それは自己中心的な人が増えた結果である。

このまま増え続ければ、恐ろしい結果を生み出すで有ろう事は、火を見るよりも明らかと考えます。
私の予言文を見て頂けば解ります。
人間は誰しもしあわせを望みますが、カルマを重ねれば重ねるほど、しあわせからは遠去かります!

以下は、一例です。

詐欺、誹謗中傷、クレイマー、偽装、犯罪者。
これは、最高にカルマを増大させます。

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馬鹿坊主の戯言と思う方は、続けるが良かろう。
必ず結果は出ます。
氣づいた時は、手遅れである。

凄まじいカルマ《因縁》の返礼を味わう事に成るのです。
これが、因果応報である。

その逆に、貧しくとも先祖を敬い、神仏を尊び、他に優しい人の人生は必ず開華します。
言わば報われるのです。
光と影、陰と陽、貧富に繋がるのである。

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自分さえ良ければ良い、は地獄道である。
日本には浅ましいと言う言葉があるが、本当に浅ましいのは上記に書いた行為である。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

自分に余裕がない、自分が満たされていない、自分だけが不利益を被っている、自分は不当に扱われている。
そんな風に思うとき、他人が羨ましかったり、更に進めば妬ましく腹立たしく見えることがあるでしょう。

何の関係もない人が、「あはは」と朗らかに笑っているだけで許せないほど苛立つ。
そんなギスギスした空気が、世の中全体を覆っているように感じることが増えました。

「相手は誰でも良かった。むしゃくしゃしていたから、衝動的に××した」

といったような犯罪を犯した者の発言は、非常にそれをよく表していると思います。

そこまでいかないにしても、日常の中でちょっと自分と波長の異なる人のことを、欲求不満のはけ口として悪口を言って溜飲を下げたり、嫌がらせをして困っている姿を見てほくそえむような行い、自分のことを棚に上げて人を罵倒したりする人も少なくありません。

他人は、自分の機嫌を取るために存在している訳ではありません。
他人は、自分に快適をもたらす道具ではありません。

そんな単純な事が視えなくなっている時代かもしれません。

反省をし、自重していきたいものです。

今日もありがとうございます



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by masumi-inari | 2018-02-08 06:00 | 赤不動明王院便り