眞澄稲荷日和

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金剛山赤不動明王院 眞澄稲荷社

2018年 01月 29日 ( 3 )

時間を置いてみる

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いいなと思ったこと、欲しいと思ったもの。
即行動に移すのも良いのですが、一拍置いて考えてみる、様子を見てみるという事も時には大事ですよね。

調香の世界も同じです。
大好きな香りと大好きな香りを足して、新鮮な香りにうっとりするのも良し。
ですが、計算し尽くして混ぜたものが今ひとつピンと来ないこともあります。

そんなときは、一晩、二晩、三晩…おいてみます。
ぶつかり合う個性が、少しずつ馴染んでいくこともあるから、今この瞬間の反応だけで結論は急ぎません。







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by masumi-inari | 2018-01-29 16:00 | 薫香と祈りの研究所
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こちらが赤不動明王院勤行集。
観想の助けになればという思いから、立像のご本尊さまを表紙に飾らせて頂きました。
テキストには、このように散華を一枚挟んでおります。

おかげさまで、赤不動明王院勤行集が大変ご好評頂いております。

日頃、「學びが大切」と薫陶を受けている私たちですが、具体的に何をどこから?という所で、モヤッとしていた人も少なからずいらしたようです。
また、これまで結縁ワーク(2017年に終了したメニューです)や密教塾から派生した各講座を受講された方が、複数のテキストを持つことで混乱されていたケースも多く見受けられました。

密教とは秘密の教えですから、學びの各段階によって、その人の状況によって、教えて頂ける質量には差があります。
だからこそ、複数のテキストや講座が存在します。

ですから、一歩ずつ階段をのぼっていく過程で、自分の學んだことを整理して、一本化していく作業が必要となるのですね。
そうすることの必要性に気付かれた方たちが、次々と勤行集をお迎えされていらっしゃぃます。

ありがたいことです。

今日もまたそんなご感想を紹介させて頂きますね。
もちろん、ご本人さまからの了承を頂いております。
お勤め・・ですが。
勤行集にのっとって、まだ2回しか祈っておりませんが、終わったあとの満足感が、全然違いました。
特に、初日は、確実に手ごたえを感じました。
祈りが確かに届いてる!!そんな感触?空気感?
良い表現ができませんが・・・何かを感じました。
初めてで、用紙を見ながらの祈りだったのに、何かが変わった感じがしました。

たったこれだけの事なのに・・・礼儀というか、作法というか、言霊といっていいのか・・・
少し変えただけなのに・・・祈る己自身の気持ちをも変化させて下さる、というか。

今回、慈優さんのご指導のもと、また改めて色々付け加えての祈りが、楽しみになってきました。
なにかあれば、またご報告させていただきますね!

仏さまの御前にいる時間を、大切で特別なものと実感できる日が早くも来たのですね。
私も同じように嬉しく思います。

※「色々付け加えての」の部分が、有料講座を受講された方へのご助言となります。







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by masumi-inari | 2018-01-29 09:00 | お客様からの手紙

祟り

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昨今、聖域を穢す者が増えて居るが、これは、最低の自殺行為である。
私は聖域を穢した者の末路を見てきた。

以下は、体験談である《実話》

その人は、無神論者を気取って居ただけなら何の問題も無かった。
が、仲間たちと歩いて居た時、酒に酔って居たのだろう。
『祟るなら祟って見ろ』
そう言って、在ろう事かお地蔵様に放尿し、高笑いした。

それだけで辞めて置けばまだしも、事あるごとに、様々な石仏や、神社仏閣の建物を見れば毒づき、『祟れるものなら祟って見ろ』と言っていたそうである。

ある夏の日に、仲間たちが肝試しをやると言うので、参加して其処に有った石仏の頭を蹴った。
石仏の頭は折れ、転がった。

異変は7日後に始まった。

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幻聴、幻覚に悩まされて、家族が精神科に入院させたが半月ほどで退院。
そして、今度は総合病院に入院した。
癌である。

治療も虚しく、全身に癌が転移して苦しみ抜いて亡くなった。

神仏を信じようが、信じまいが自由である。
嫌なら、無視すれば良いだけである。
関わる必要も無い。

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昨今では多くの方々が、事あるごとに、評論家のように、様々な事に批判する風潮がある。
しかし、面白半分の批判は、やがて自分に返って来る可能性を秘めて居る事を覚えておいて貰いたい。

嫌なら、嫌いなら、見なければ良い、関わらなければ良いだけである。
愛の裏返しは、無関心である様に。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

神仏をあざ笑い小馬鹿にする、無礼を働く人間。
そのような人は、非科学的と見えることを迷信的、妄信的で愚かな事だと見下すことで、自分が優秀だという思い上がりがあるように思います。
しかしそれは決して理性的でも、冷静でも、知的でもありません。
神仏への態度は、人間に対する態度と同じであるように私は思うからです。

人間であれば、侮辱されても嘲笑されても、時に我慢し、時に泣き寝入りし、時に「ものの道理のわからない愚かな人だから」と寛大に見過ごすこともあります。
しかし、そのような寛容さを神仏に期待するのはお門違いではないでしょうか。

人を小馬鹿にしたり、目に見えない神仏を愚弄する行為には、自分が安全で優位な立場にあるという錯覚。
自分は優れていて守られているという傲慢さがあります。

関係のない他人の事を手厳しく批判、非難し、いつの間にか自分は聖人君子であるかのように振る舞う風潮は、浅ましく愚かであると考えます。

今日もありがとうございます

感謝合掌

後藤慈優





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by masumi-inari | 2018-01-29 06:00 | 赤不動明王院便り