願掛け断ち物

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願掛け断ち物とは、自身の願いを神仏に聴いて頂く為に、自身の一番好きな物や、大切な事を断つ行為である。
昔の人身御供も、同じ観点から生まれたものである。
しかし霊的観点から見れば、何の意味も無い行為なのである。

そんな事をするよりも、精一杯の努力と祈りを捧げる方が何倍も有効である。

願掛けによって、逆に因縁を背負ってしまった実例を沢山観て来ました。




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一例を挙げます。

ある神仏に商売繁昌の願掛けをし、叶えば御社台を自宅にお祀りすると誓いました。

それから暫くして、商売は繁昌しました。
1年が過ぎ、2年が過ぎ、3年目、商売は思わしくゆかなくなりました。
困り果て、人づてに私の元へとお出でに成りました。

私には、その方が来た瞬間に解りました。
願掛けの失敗である。

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断ち物(たちもの)
神仏に願掛けをした時に、自分の好きな食品や嗜好品もしくは薬などを絶って、禁欲により願掛けを強力にできるという民間信仰。

通常は願掛けした願いが叶うまで絶つ場合が多いが、生涯にわたって絶ち続けるという人もいる。
断ち物とするものは酒、煙草、茶、薬品などさまざまで、最初は身を清める目的に近い信仰対象の嫌うものを絶つ、女絶ち、肉絶ちなどが主流だったが、のちに自分の好物が多くなる。

Wikipediaより引用


ご本人は、神仏と約束した事をすっかり忘れて居たのである。
そして、3年目に現れたのである。
忙し過ぎて、御社台の建立を棚上げにしたまま時が過ぎて居たのである。

私は依頼者と一緒に、願掛けをした神仏が祀られている場所に行きました。
謝罪し、請願を立てました。
神具師の仕事場に行って立派な御社台を作って頂き、それを依頼者の家に安置して供養を行いました。

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それから半年くらいは苦しかったようですが、今では前以上の繁昌店に成りました。

では何故、半年以上苦しかったのか?
それは、当たり前である。

自分が2年以上も約束を守らず、建立したから直ぐに元どおりにして欲しい。は誤りである。

様子を見られたのである。
この者が本当に改心したかの様子見である。

今では毎日、神仏を中心とする生活をされておられます。

神仏には、出来ない約束はしてはいけません!

約束をしたのなら守りましょう。
守れないのなら、最初からしない事である。

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南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

赤不動明王院の門人となり、仕事をするようになってからしばしば耳にするようになりました。

『~が解決するのであれば、自分は何も望みません。ほかに欲はないんです。一生××できなくても構いません』

自分の願い事の成就と引き換えに、人生を差し出すような発言です。
それ程、自分の願いは真剣であると神仏に誓いを立てようとされているのだろう…とお言葉の真意を推察していました。
しかし、その真剣さは理解できるのですが、一方で釈然としない気持ちにもなりりました。

それは、『果たしてこの人が一生××しない事を、ご神仏さまは喜ばれるのだろうか。
ご神仏さまが願いを叶える為に御働きになる際、この人が××しない事が原動力になるのだろうか?』
という事です。


ずっとモヤモヤしていましたが、本日の原稿によってスッキリしました。
出来ない約束を担保にしたり、自分の大切にしているものを差し出したり、一生涯断つことは意味がないと。
そして、それよりも精一杯の努力と祈りを捧げる方が何倍も有効であると。

自分が出来ることは何か?
を考えることは、相手が人であれ、神仏であれ、大切な基本です。

ただし、自分が思いつくことと相手が芯から望むことの間にズレはないか?考える。
そして相手が望むこと、喜んでくれることで、かつ自分が出来る事を実践する事。
それが最も大切ではないでしょうか。

今日もありがとうございます

慈優




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by masumi-inari | 2018-08-15 06:00 | ◎赤不動明王院便り