つなぐ繋がる

私達は皆、御仏の魂を宿して生まれて居る。
では、何故、善と悪が存在するのか?
其れは、つなぐ繋がる努力を怠ったからと言えよう。

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人間には誰にでも、良心、悪心、仏心があります。
普通の人でも、良心、悪心の存在は御存知だと思うが、仏心については、明確に答えられる方は少ないで有ろう。

何故なら、全ての方々が仏心を理解、自身に落とし込んで居れば、犯罪もイジメも誹謗中傷も存在し無いからである。

良心
自身に内在する社会一般的な価値観(規範意識)に照らして、ことの可否ないし善悪を測る心の働きのことである。

良心は、それ自体は規範意識などの情報の曖昧な総体であり、また善行をなし悪行を避ける心のことである。
人間に関しては、性善説のように生まれながらにしてこの良心を持ち良いことを好み悪を嫌うとする説と、性悪説のように生まれた時点では良心は存在しないので教育によって良心を芽生えさせ育てる必要があるとする説があるが、そのいずれにしても社会に対しては、この良心に従って行動することが求められる。

特に良心の働きは個人的なものであり、これに従うことは自己に対する肯定感が増し、これに反すれば自己否定的になる。
多くの場合で人間は自尊心の働きにも拠り、良心に反することを嫌う。
また良心は普段無自覚である。

このような心の働きは、人が社会的動物として社会に関与する上で、自分の属する社会に益するよう働き掛けるものであるが、その働き具合は個人によってまちまちである。
また正義や道徳が社会の価値観によってもまちまちであるように、この良心の向かう先も文化など他の要素にもよってやや異なる。

良心はときに他人に感化されて喚起したり、あるいは目の前の状況に精神的なショックを受け喚起される場合もある。
逆に止むに止まれぬ事情により、この良心に反する行動を敢えて行う(緊急避難)場合もある。

良心自体は明確な価値観念ではなく、また信条のように条文化することも難しい。ジークムント・フロイトは良心を無意識における抑圧構造の文化的な作用だとしている。

仏心
仏(ほとけ)のこころ。大慈悲のことをいう。
また、一切衆生に本来備わっている仏性のこと。
仏心とは主体となる心(さとり)のこと。
心主、心王(しんのう)ともいう。『観無量寿経』には「仏心者大慈悲是」(仏心というは大慈悲これなり)とある。

禅においては仏の悟りを指して仏心と呼ぶ。
禅宗は仏の悟りを直に体得することを求めるので、経宗に対して別名仏心宗を称する。

仏性の意で用いられることもある。

Wikipediaより引用

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昨今の犯罪事情は、耳を疑い、眼を背けたく成るほど陰湿であり、正に鬼畜の所業である。
母が父が子を殺し《抵抗も出来無い幼な子》また、詐欺行為は日常茶飯事である。
責任と言う言葉は、概念すら失われたのでは無いかと疑いたく成るほどである。

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これは、ひとえに仏心の欠如を表し、末世末法の世に等しい。
仏心は、自らが望み、繋ぎ繋がら無ければ得られるものではありません。

全ては自由と言われ、羽ばたく昨今、今一度、立ち止まり考え俯瞰する時では無いでしょうか。
自由には責任が伴います。

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その責任を果たさなければ、様々な事象と成り、我が身に返って来る事を覚悟せねば成りません。
仏心を纏い、繋ぎ繋がる時、本当の理解があなたを満たします。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

昨今の事件を見ていると、脳裏に蘇る物語があります。
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』です。

自分が助かるために見つけた手段に、他人が群がるとき、それを追い落とすことで自分だけが助かろうとする。
そしてその結果、自分も他人も闇に堕ち、周囲からの信頼も失う。

これこそが仏心の喪失であり、末世末法の世と表現するに相応しい状況かもしれません。

良心とは、誰が見ていなくても「お天道さまが見ている」と、恥じない自分を心がけることであり、仏心とは、更にその上をいく慈悲の心、慈悲の目で『仏さまならどうするだろうか』という意識をもって、すべてを見通すことではないかと考えます。

感謝合掌
後藤慈優




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# by masumi-inari | 2017-07-06 06:00 | 赤不動明王院便り

古文書

当院には、密教に関する古文書が数百点、所蔵されて居ります。

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赤不動明王院所蔵資料

古文書を読んでいると様々な事に氣づきます。
例えば、葬儀について言えば、現代とは全く異質と言えます。
詳しく書きたいのですが、悪用される危険があるので書けません。

密教の作法、次第も派に依り異なり、一冊や二冊の古文書では、理解は難しい。
しかし、密教には、曼陀羅と言う一目で分かる素晴らしい教科書があります。

現代、曼陀羅が多くの人々の眼に触れる様に成った事は、素晴らしい事と私は思います。
曼陀羅は、観る密教の教科書なのです。

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曼荼羅Wikipediaより画像をお借りいたしました

曼荼羅
密教の経典にもとづき、主尊を中心に諸仏諸尊の集会(しゅうえ)する楼閣を模式的に示した図像。
ほとんどの密教経典は曼荼羅を説き、その思想を曼荼羅の構造によって表すので、その種類は数百にのぼる。
古代インドに起源をもち、中央アジア、日本、中国、朝鮮半島、東南アジア諸国などへ伝わった。
21世紀に至っても、密教の伝統が生きて伝存するチベット、ネパール、日本などでは盛んに制作されている。

種類(形態)

大曼荼羅 - 経典の主尊をはじめとする諸仏の像を絵画として表現したもの。
三昧耶曼荼羅(さまやまんだら、さんまや-) - 諸仏の姿を直接描く代わりに、各尊を表す象徴物(シンボル)で表したもの。諸仏の代わりに、金剛杵(煩悩を打ち砕く武器)、蓮華、剣、鈴などの器物が描かれている。これらの器物を「三昧耶形」(さまやぎょう)と言い、各尊の悟りや働きを示すシンボルである。
法曼荼羅 - 諸仏の姿を直接描く代わりに、1つの仏を1つの文字(サンスクリット文字、梵字またはチベット文字)で象徴的に表したもの。仏を表す文字を仏教では種子(しゅじ、あるいは「種字」とも)と言うことから、「種子曼荼羅」とも言う。

Wikipediaより引用

字が読め無くとも、字が書け無くとも、理解出来るのが曼陀羅である。
密教は、個人のものではありません。
悩み、苦しむ人、全ての人に救済をもたらす為に成立したのが密教である。

曼陀羅は、誰の制約も受けず、感じるだけで良いのです。
その後、専門的に學びたければ學べば良いのです。

難しい教義より、ー眼に触れる事があなたを理解の世界に誘います。
密教の曼陀羅は、金剛界、胎蔵界曼陀羅以外にも、無数の曼陀羅が存在します。

当院でも、公開はしていませんが、多数の曼陀羅を所蔵して居ります。

中でも聖天曼陀羅は、他に類を見無い秀作です。

機会があれば、希望する方に再版しお迎え出来ればと考えて居ります。
その他にも、幻と言われて居る曼陀羅も多数所蔵して居ります。
ここで、公開出来無いのが残念であります。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



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# by masumi-inari | 2017-07-05 06:00 | 赤不動明王院便り

人型の旅立ち

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人型。ふふ。可愛い。

自分で書く密教護符セットですが、ご好評につき人型が残り少なくなって参りました。
別途祈祷などで使用することもあり、いま眞澄がお預かりしている組がなくなり次第こちらの企画は終了致します。

赤不動明王院にある、膨大な古い資料の中から永作先生が厳選したものばかり。
ご自身ですぐに使用しなくても、資料的に大変興味深い内容だと思われます。
また霊符作成の手引きも別途作成しました。
その中には、浄め塩の作り方やお水についての解説もあります。

【霊符について】

① 自らが一心込めて書作する事に意義があります。
② 個別の真言を読誦する事で、より一層の効果が期待出来ます。
③ 特別な霊符も製作が可能ですが、その場合は別途お申し込み下さい。
④ 特別な案件は、相談等により作成若しくは、祈祷します。
⑤ 前具《法具》は、御希望があれば、別途ご用意可能です。
⑥ 霊符の効果を上げる場合は、密教法具(独鈷杵、三鈷杵、五鈷杵)の使用が効果的です。
⑦ 一つの願いが成就したら人型を川に流します。流せない方は赤不動明王院へお送り下さい。
⑧ 資料上、飲用等と書かれた護符も、全て人型に書いて守り袋へ入れて携帯してください。
⑨ 希望者には真言を伝授しますが、その際の連絡は必ず真澄を通して下さい。
直接赤不動明王院へ連絡された方へは、一切お答え致しかねます。
また、霊符に関するご質問についても同様と致します。
師僧


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こちらがそのセットです。
※お守り袋は、原則赤か緑のうち1つのみお入れ致します。
が、ご夫婦、カップルで絆を深めるお守りを持ちたい…という場合には、有料で追加することは可能です。
ご相談ください。

・人型50枚
・塗香約2g
・お守り袋1つ(複数ご入用な方は有料にて追加可能です。ご相談ください)
・護符作成のための手引書
・護符の見本帳
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こちらの人型に護符を書写して、お守り袋に入れて頂きます。
失敗しても大丈夫です。
たっぷり50枚お付けしております。

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人型を書く前には、お塗香を手に塗って清めましょう。
余ったら、日々のお勤めの時や外出時にお使いください。
気に入ってくださったら、今後真澄でご購入いただくことが可能です。

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・神社の水はいつ取りに行くのがいいのですか?
・近くに神社がありません。湧き水でもいいですか?
・なぜ水道水じゃダメなんですか?ペットボトルの水でもいいんじゃないですか?

といった疑問質問にも対応しております。
また浄め塩の作り方は、今後ご自身で写経、写仏、霊符作成等をされる折の知識として、ずっとご活用頂けるものです。


人型はめくれるようになっています。
めくった中に護符を書きましょう。
書いたら、折りたたんでお守り袋の中に入れます。

独鈷杵をお持ちの方、今後お迎えになる予定の方、護符について関心をお持ちの方にとっては、研究の入り口として非常に充実した内容です。

個人的には、一般に手に入らない人型を自由に使えるということ自体がドキドキします。

お申込みはお早めに。



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# by masumi-inari | 2017-07-04 17:00 | 眞澄稲荷便り
梱包の仕方を画像にしてみました。

【用意するもの】
・レターパック2枚(1枚は返信用)
・半紙(仏さまを包みます)
・梱包材
・セロハンテープ
・ラベルシール
・サインペン

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シールにサインペンで自分の名前を名前を書きます。
それを香合仏のサイズに合わせてカットし、貼り付けます。

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半紙に包んでセロハンテープで留めます。
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梱包材に包んで、セロハンテープで留めます。
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返信用レターパックを二つ折にしたものと、梱包材にくるんだ香合仏をレターパックに入れます。
あとはポストにイン(^^♪
ご供養料を永作先生のゆうちょ口座へお振込み下さいね。

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※ちなみに、私は初めて香合仏をレターパックで送りますが、木の聖天さまも小さいのでレターパックで送れるような気がします。

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ね?
木の宇賀神さまはダメですけどね…。
なるべく小さな段ボール箱で送って差し上げて下さい。
スキマを埋めるのに新聞紙を使いたくなる気持ちは重々わかりますが…、新聞紙はやめて差し上げてくださいm(__)m
梱包材にてお願い致しますm(__)m


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# by masumi-inari | 2017-07-04 07:00 | 密教Q&A
題字の表記は、英語圏の解釈である。
いにしえ《古》の日本人の考え方は、大義に生きる事に誇りを持って居た。

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個を顧みず、他《大勢の人》を活かす礎に成ることを考え行動する事が誇りであり、プライドだった。
考えてみれば、現代の日本人とはかなり開きがあります。

現代は、個を主張する事がプライドのように思われる。
夫婦間でも恋人同士でも、個を主張する。

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例えば、人間同士の会話の中に個の主張が強い場合、破局もあり、争い事の種にも成る。
また、尊重と甘えとは、紙一重に陥りやすく注意が必要である。

漢字で考えれば、その意味も理解しやすい。
《尊重》重く尊ぶ事のように解り易い。

私があまりカタカナを使わない意味は、ここにある。
カタカナ表記は曖昧である。
また、単語のカタカナ表記は、間違いを生じ易いのも理由である。

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考え方、思想、哲学と階段を踏みしめる時、己が考え方の稚拙さに驚き、赤面する事もあります。

誰も争いを好みません。
《争いを好むのは、魔族のみである》

智性、理性は、學びを重ねる時に生じる贈り物と私は捉えております。

寄り添い、寄り添う、平和の一文字、簡単なのです。
自我を捨て、寄り添い、寄り添う心を理解し実践する時、あなたは素晴らしい世界を体感します。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

争いを好むのは魔族だけ…。
とありましたので、改めて「魔族」とはどういった存在であるのかを調べてみました。
どうやら、国語辞典には載っていない言葉であるようです。

魔族(まぞく)は、多くの場合神や人間に敵対する種族の呼称で、主に神話・伝説・フィクションで用いられる。

「魔族」という語は国語辞典には載っていないが、神話・伝説について解説した書籍などにおいて、神と敵対する、または人間に害をなす存在を「魔族」と呼ぶ場合がある。

Wikipediaより引用

人間に敵対する存在なのですね。

互いに協力し合い、助け合い、支え合って、慈しみの気持ちを分かちあう存在。
それが人間であると私は考えます。

そこに亀裂を入れ、その様を見てほくそえむのが魔族。
つまり、不両舌(ふりょうぜつ) 他人を仲違いさせるようなことを言わない。ように意識を高めるのが人間で、あえてその逆を行くのが魔族。ということでしょうか。

自分が魔族になっていないか、魔を好んでいないか、魔を呼び込む行いをしていないか?
常に自分の心に尋ねることを忘れずにいたいものです。

感謝合掌
後藤慈優


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# by masumi-inari | 2017-07-04 06:00 | 赤不動明王院便り

目線

目線の高低は、人に依り様々である。
当然、目線が違えば捉え方も違う。

では、何故捉え方が変わるのか?
経験値の差である。
理性、智性は、學ば無ければ得られません。

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例えば、十代〜二十代の目線、三十、四十、五十、六十代の目線も当然違います。

経験値を積んで行けば、目線が変わるのは当たり前ですが、其処に學びが付加された時、飛躍的に変化します。

自身の経験に學びが付加される事に依り、経験は活かされどう生きるか、何故生きるかの答えも見出せるのである。

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その逆に、學びに背を向け思うがままに生きる、生きた時、結果はその方が一番御存知で有ろう。

昔の言葉に十年一区切り、正に名言である。
怠惰に生き、不思議に生き、自分勝手に生き、全て自由である。

道程 高村光太郎

何という曲がりくねり

迷い まよった道だろう

自堕落に消え 滅びかけたあの道

絶望に閉じ込められたあの道

幼い苦悩に もみつぶされたあの道

ふり返ってみると

自分の道は 戦慄に値する

支離滅裂な

また むざんなこの光景を見て

誰がこれを

生命の道と信ずるだろう

それだのに

やっぱり これが生命に導く道だった


一部抜粋しました



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しかし、自由には必ず責任が伴います。
その責任は、自身が蒔いた種でもあるのです。

そして、學び合う者は、互いを尊重し學び合う時、真理が得られるのです。

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南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

自分がいま見ているもの、これまで見てきたもの、この先見ていくもの。

それには自分独自の縁取り(思い込み、思い癖)、色彩(思い出)があります。

過去は変えられないが未来は変えられる。という言葉がありますが、思い込みの呪縛から解き放たれるとき、過去もまた変わっていきます。

人生の単位は、1年なのか、1カ月なのか、1日なのか。
おそらくそれはすべてが正解で、すべてがとらわれるべきではない区切りなのかもしれません。

なぜなら、1日の積み重ねが1週間になり、1週間の積み重ねが1ヶ月になり、1カ月の積み重ねが1年になるのだから。
一日一日は薄い色の膜のようにささやかでも、ある程度積み重なると特別な存在感を醸し出します。

そこに見える色を「美しい」と思えるように生きること。
それが學びであり、込めるということなのではないでしょうか。

感謝合掌
後藤慈優



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# by masumi-inari | 2017-07-03 06:00 | 赤不動明王院便り

宝の言葉

宝の言葉は人を活かし、罵詈雑言は人を殺める。

ありがとう、おかげさま、愛しています。
様々に表現される日本の美しい言葉には、魂が宿ります。
また、魂が宿る言葉には癒しが生まれます。

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草木に向かい、今日も元気でありがとう。
動物に向かい、可愛いさをありがとう。
家族に向かいありがとう。
御仏に向かいありがとうございます。

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魂を宿した言葉を発する事は、自身の魂を成長させる大切な行為なのです。

その逆に、罵詈雑言は人を殺める悪言である。

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例えば、大勢の人の前で罵詈雑言を発すれば信用を失い、誰も見て居ないからと勝手に思い込み、好き勝手に罵詈雑言を垂れ流せば、濁流と成って我が身に降り掛かり、破滅の坂を転げ堕ちます。

全ての言葉には、魂が宿り言霊に成ります。

その時に己れ一人なら、まだ反省し、やり直す事も容易いが、家族や様々な人間関係が存在する場合、償いの代償は計り知れない大きさに成り、我が身に降り掛かります。

たかが言葉されど言葉。
魂の言葉を學び理解する事は、あなたのしあわせに繋がる大きな橋なのです。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

十善戒

身業
不殺生(ふせっしょう) 故意に生き物を殺さない。
不偸盗(ふちゅうとう) 与えられていないものを自分のものとしない。
不邪淫(ふじゃいん) 不倫など道徳に外れた関係を持たない。

口業
不妄語(ふもうご) 嘘をつかない。
不綺語(ふきご) 中身の無い言葉を話さない。
不悪口(ふあっく) 乱暴な言葉を使わない。
不両舌(ふりょうぜつ) 他人を仲違いさせるようなことを言わない。

意業
不慳貪(ふけんどん) 激しい欲をいだかない。
不瞋恚(ふしんに) 激しい怒りをいだかない。
不邪見(ふじゃけん) (善悪業報、輪廻等を否定する)誤った見解を持たない。



十善戒の口業「不妄語」と意業「不慳貪」、「不悪口」と意業「不瞋恚」は繋がり合っているように感じます。
自分可愛さ、欲と二人連れで嘘をつく。
激しい怒りに突き動かされて、乱暴な言葉を使う。

玄関の扉も、心の扉も、激しく叩けば開くというものではありませんよね。
心がけ、自重したいと思います。

感謝合掌
後藤慈優







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# by masumi-inari | 2017-07-02 06:00 | 赤不動明王院便り