眞澄稲荷日和

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金剛山赤不動明王院 眞澄稲荷社

カテゴリ:弟子が荼枳尼天を背負ってやってきた( 26 )

本当にあった稲荷さまとのお話

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慈優の修行記録です


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第21話 何もない空間から新茶の香りが…
第22話 師弟の學び
第23話 プリン!プリン!プリン! 
第24話 お示し×お試し=學び~番外編です

…以後、不定期更新して参ります…

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by masumi-inari | 2017-08-18 00:00 | 弟子が荼枳尼天を背負ってやってきた
お示し×お試し=學び~番外編です

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非効率的な仕事ぶり、運命に翻弄される私生活
稲荷行者ですm(__)m

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私はあまり前世等に興味がなくて(笑)アレなのですが、師僧に以前話のついでに偶然伺ったことがあります。
私の前世は稲荷巫女だったと。

聞いた瞬間の私の反応「へー」
薄いです。

スピリチュアルに関心のある方にとって、「あなたの前世は巫女です」は割とよく聞く過去世のようです。
私も色々な人から聞きました(笑)
言う側からしたら「この手の人には前世が巫女って言ったら喜ぶよね」というお追従というか、リップサービスのような、営業トークの一環じゃない?といった、意地の悪い見方をしてしまう私です…。

私の場合、密教にたどり着くまでに、依り代になりたくて他の修行もしてきたので、確かに自分の中で「なぜ惹かれるのか」への整合性は取れた気持ちもありました。
が、それだけが修行への原動力になったわけではありません。
同時に、「それ、どうせ他の人にも言ってるんでしょ」という、恋人に対してわざとスネてみせる女子のような気持ちにもなるのです(笑)

ただ、怖い、恐ろしいと言われているダキニさんをこれほどまでに好きで、一直線になれるのはそうなのかもしれません。

師僧がよく言われる言葉がいくつかあります。

1)この世界は生易しくねぇよ。
2)銭金ではかったらやっていけねぇ世界だ。
3)何だかんだあっても、最終的には「好きか嫌いか」だけだ。
4)嫌ならやめちまえ。


…はい。

そこで出た「非効率的な仕事ぶり、運命に翻弄される私生活 稲荷行者ですm(__)m」になる訳です。

今まで突っ走ってきて、「これはお示しなのか」「それともお試しなのか」といまだにわからないことが多々あります。
たぶんそれは、どちらかひとつに分類してスッキリ片付くことではなく、両方の意味があることなのです。

お示し×お試し=學び。

自分に起きること、自分の周りに起きることを共に「自分事」として成長の糧とするか、責任逃れをして堕落するか。

人生とはその二択ではないでしょうか。
それは、私が尼僧だから特別という訳ではなく、この法則はすべての人に当てはまる気がします。

そして、今日まで善人であったとしても、明日には悪人に堕ちる恐れは誰にでもあります。
込めて生きるとは、ロープの上を集中して手放しで渡り切ることのようにも感じます。

それはあまりに負担が大きく、極端なイメージですね。

現実の社会は、幸いなことに常に断崖絶壁に渡されたロープの上ではありません。
平らな土地があり、なだらかな坂があり、丘があり、泉があり、木陰があり、花の咲く場所があります。

それを探し、見つけ、作り出すこともまた人生の課題であり、喜びであると思います。
そして、その楽園は人のなかにあると信じる私です。



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by masumi-inari | 2017-07-24 21:00 | 弟子が荼枳尼天を背負ってやってきた

慈優、仏画を描く

タイトルに「初めての仏画を描く」とタイプして、はた。。。と手が止まりました。
初めてではありませんでした。

数年前、古代出雲歴史博物館の仏像展覧会(正式名称は忘れました)のイベントで、仏画の塗り絵に参加したことがあったっけ。
それ以降、自分で描いたことはありませんが、あの体験も1と数えた方がいいかも。

うちの母方の祖母の実家は寺。
親戚は仏画を描いています。

物心ついたときから、あの墨一色の絵にはなじみがありましたが、まさか自分で描く日がこようとは。
感慨深いものがあります。


昨日はこちらをおろしました。
ミニ書道セット。

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私が描いたのは虚空蔵菩薩さまです。

虚空蔵菩薩様は色んな種類があります。
正しくは、虚空蔵菩薩の五つの智恵を5体の菩薩像で表した五大虚空蔵菩薩様といいます。


法界虚空蔵菩薩尊 
【智慧】解脱=迷いから脱却させる【五智如来の変化身】大日如来

金剛虚空蔵菩薩尊 
【智慧】財産・福徳【五智如来の変化身】阿閦如来

宝光虚空蔵菩薩尊 
【智慧】能満=願いを叶え、満足を与える【五智如来の変化身】宝生如来

蓮華虚空蔵菩薩尊
【智慧】施願=願い事を実現する【五智如来の変化身】阿弥陀如来

業用虚空蔵菩薩尊
【智慧】無垢=汚れを離れた正常な状態にする【五智如来の変化身】不空成就如来

何枚も描き直しましたが、一番最初と一番最後が良かった気がします(笑)
最初は緊張しつつも、集中力があったからだろうし、最後は余分な力が抜けて楽しむことが出来たから。

そして描かせて頂いているときに心の中に変化が生まれました。

『すべては光であり、ありがたい』という気持ちになったのです。

仏画を描いていると、今より観想がもっと上達するかもしれません。
無趣味な私ですが、ひょっとしたら趣味になりそうな予感。

これから開眼です。
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by masumi-inari | 2017-01-25 21:00 | 弟子が荼枳尼天を背負ってやってきた
プリン!プリン!プリン!

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仏さまへのお供えは毎日致します。
お水・大吟醸酒・お菓子もしくは果物など。

たまに「何がよろしいでしょうか」と問いかけることがあります。
何かの節目だったり、嬉しいことがあったときだったり、はたまた大迷惑をお掛けしたときなどです。

かなりダキニさまのご機嫌を損ねてしまう事があり、恐縮してお伺いを立てたことがありました。

もしかしたら命はないのか?
と思っていたのですが、返事は速攻。
しかも畳みかけるように届きました。

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プリン!
え?
確か…非常にお怒りなのですよね?

プリン!
プリンでございますか?

プリン!!…何回言わせるつもり?(# ゚Д゚)
畏まりましたm(__)m

私は暗くなった田んぼの中の道を、不安と動悸に苛まれながら、ある案件の無事を祈りつつ、急ぎ足でドラッグストアに向かいました。
そして陳列棚に並んでいる中で、一番高いプリンを2つ購入したのです。

私の以前のブログを読んでくださっていた読者の方は、私のダキニさまが昔チーズケーキをご所望になったエピソードを覚えていらっしゃるようです。
そして私に「ダキニさまへどうぞ」とチーズケーキを寄進してくださったことがありました。

私の中で、ダキニさまの好物は「インスタ映えを意識する、カフェ巡り好きな女子」に近い…という気がしています。
だから流行りのスイーツとか、色鮮やかで見た目が美しい菓子などがあれば、『あ、ダキニさまに』と目がいってしまいます。

これまで仏さまから教わったご好物は、ご本尊さまはみたらし団子とか果物。
果物は天部の仏さまもお喜びと感じます。

宇賀神さまは何はともあれ大吟醸ですが、甘酒もお喜びくださったような印象がありました。

総じてご本尊さまはモチ・だんご系の和菓子という印象です。

逆に「これは不評だった気がする」と感じ入ったのは、私がダイエット目的で購入してお供えした、こんにゃくゼリーでした。
フルーツゼリーとか、サイダーゼリーとか、手作りの杏仁豆腐はそうでもありません。

手作りのチョコレートケーキも喜んで頂けたように感じました。

今回のダキニさまの「プリン」は、暑い時期だったので、冷たいスイーツがいいわ。という素直なリクエストだったように思います。
そして、乳製品のお菓子がお好きなのかな。と感じました。

みなさまも是非、お祀りされている仏さまへ季節にあったお供えを♪
たまの贅沢よりも、質素であっても日々気持ちを込めたお供えを♪

いかがでしょうか。



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by masumi-inari | 2017-01-23 21:00 | 弟子が荼枳尼天を背負ってやってきた
師弟の學び

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久しぶりにこの項目で記事を書きます。

今日の師僧のブログの題材が「師弟」でした。
これまでも、師僧との出会いについてこのコンテンツで書いてきましたが、二人の妹弟子たちに触発されました。

慈葉さん

慈福さんのブログに、このような文章がありました。
「仏教の教えは、生きている人に対して、様々な問いと答えを投げかけてくるように思う」

教えに出会うとは、仏に出会うとは、師に出会うとは、現実逃避や綺麗事、世間離れではありません。
「では、自分はどうするのか」「どう生きるのか」「なんと考えるのか」を常に迫られることなのです。
そして、どの道を行くのがいいのかを、読み解けば理解でき、正道を歩めるようにすることなのです。

問いは自分の外から来ることもあれば、自分の悩みや迷いの先から来ることもあり、答えもまた同様であると感じています。

ですから、『スピリチュアルなことや霊的なことは非現実的である』と捉えることは、霊的世界と現実世界の間に橋を架けられていないという証拠ではないでしょうか。
それを怠惰と言わずして、何の信仰であり、何の學びだろうか。と私(慈優)は思います。


さて。私と師僧との出会いは、以前にも書いていましたが、霊能力ゆえに霊障に遭っている友人を助けたい。ということがきっかけでした。
決して、自分が霊能者になりたいとか、祈祷僧になりたいとか、拝み屋さんになりたいとか、はたまた自分の事で霊視相談や祈祷をお願いしたかったわけではありません。

また、自分自身の悩み事が発端で、信仰が深まった故の弟子入りでもないという…。
振り返ってみると、美しい物語のカケラもないのが残念でなりません。

慈葉さんのように、深く内省して師僧の言葉が心に染みた…というエピソードでもないので、身の置き所がないというか。
そんな私がいまなぜ?という感じです。


私は、自称霊能者や、霊感があるとされる方たちから見下され、お前のような俗物は霊的世界で仕事をする事なぞ恐れ多い。
下世話な金勘定でもしていやがれ。それが分相応だ。
と罵倒され、助けたいと思っていた友人にさえボロカスに言われていたところを助けられた。という始まりでした。

なんとなく浦島太郎のカメ、小泉八雲の妻セツと子猫のような構図ですね。
結局わたしの弟子入りは、師僧からの想定外かつ斜め上を行く言葉が背中を押したのです。

『霊能力でいったら、君の友人より君の方がよっぽどキツいよ。弟子になりますか?私についてきなさい』

実はよくわかりませんでした。
未だによくわかっていません。

が、霊的事象にはこの1年で様々に遭遇しました。

霊能力と傲慢と霊的世界。
それがこの一年の私の學びのテーマでした。


恐ろしいテーマ(;´・ω・)

そのテーマに沿って、様々な霊的体験をしてきました。
祓いをして、祈祷をして、そして日々の生活の中で!!

その結果、少しだけわかったことがあります。
霊能力とは、この世に肉体を持たない様々なご存在からのご真意を伝え、行い、供養するために与えられるもの。
という事です。

ですから、それ以外にこうした能力を持ちたがったり、憧れるのは、一体何が目的なのだろう。といまだに理解できないのです。

かっこいい事でも、素敵なことでも、人より優位に立ちたい為に持つ技術などでもない。というのが私の実感です。
それでも見えたり聞こえたり感じたりしたいのなら、もうそれは愚直に、日々怠らず言われた通りのことを修行するしかありません。

先天的にそうした才能がある人でさえ、そうしているのですから、後天的に開発を望むのであれば努力の一字のみです。
しかも正しい指導者の元で、生ある限り修行あるのみです。

魔道の入り口は生活の至る所にあり、堕落する危険と常に私たちは隣りあわせであることも忘れてはいけません。
そのことも師弟関係を通じて、嫌と言うほど私は學ばせて頂いているところです。

まさに真っ最中!!Σ(゚д゚lll)


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by masumi-inari | 2017-01-22 21:00 | 弟子が荼枳尼天を背負ってやってきた
何もない空間から新茶の香りが…

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宇賀神さまを拝み始めてからしばらくたったある夜のこと。
一日のうち、いつ拝むのが一番集中できるのか、試行錯誤していた頃のことです。

いつもと場所を変えて、折り畳み式テーブルの上に宇賀神さまのお厨子を置きました。
扉を開け、いつものように勤行。

しばらくすると、不思議なことが起きました。

何もない私の部屋に、香ばしい新茶の匂いがどこからともなく漂ってきたのです。
下で家族がお茶を入れている訳でもなく、部屋に茶碗がある訳ではなく、お茶の味のお菓子、あるいはお茶の香りのせっけんや芳香剤もありません。

匂いの元を探すと、明らかなことがわかりました。
が、私はその事実を受け止めかねていました。

この馥郁たる香りは、宇賀神さまから来ているのです。

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木像ですから、木の香りがするのは想像できます。
しかし、茶葉の香りなのです。

脳裏に、燦燦と日を浴びて輝いている濃い緑の葉っぱが見えます。
自然賛歌とでも言いたくなるような、まぶしい光景でした。

後日、師僧にそのことを報告しました。
『それは宇賀神さまが君のところに来たぞ。というお示しである』

そうなのですね。
私が香りを研究していることが関係してるのかわかりませんが、宇賀神さまからはその後も様々な香りを頂戴しております。

またその話も近いうちに書きたいと思います。

ご覧頂き、ありがとうございます。

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by masumi-inari | 2017-01-21 21:00 | 弟子が荼枳尼天を背負ってやってきた
宇賀神さまとの出会い

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私の最も愛するご存在。
荼枳尼天さまを別として、それは宇賀神さまです。

弟子入りする前、私は真冬の吹雪の日本海でなぜか師僧からの電話を受け、寒風の中で熱い師僧の口説きに耳を傾けました。
(そして全身凍り付きました)

その時、師僧から言われたのが 『君をいつでも宇賀神行者にしてやるよ』でした。
当時の私は宇賀神さまと弁財天さまの違いもよく分からない密教音痴。
しかも「そうは言ってもわたし、密教塾の塾生だけど弟子とか行者じゃないしね」と暢気に構えていました。

師僧から『名前こそ与えていないが、君のことは弟子だと思っているよ』と言われても、『世の中には奇特な方がいらっしゃるのだなぁ』とぼんやり受け止めていたにすぎません。

そして『宇賀神行者になるとね、日本酒が飲めなくなるんだよ』というひとことを受けて、即座に『あ、宇賀神さまの行はご遠慮申し上げます』とお返事したことを覚えています(笑)

自分には関係のない世界の話だと思っていたのです。

それがどうでしょう。
その1か月後に私は在家僧侶となり、更にまた数か月後には『おい、慈有。俺がネットで見かけた宇賀神像がどこにあるか早急に調べて俺に教えろ』という無茶苦茶な加行を与えられることになるとは…。

折しもその日は、友人のセラピストさんの処へアロママッサージを受けに行っている日でした。
今日はゆっくり過ごしたいと思い、師僧に「出かけてきます」とお断りしていたはずなのに…。

マッサージの後、食事に向かう車の中で師僧からの指示を受けました。

『ネットでさ、見たんだよ。あれと同じものが欲しい。俺、わりと急いでるからよろしく。頼んだよ』

…Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン


当時、姉弟子に「こんな無茶ぶりを師僧からされました」とこぼすと『さすがね。修行本尊は自分で探すところから行は始まってるのよ。頑張りなさい』と厳しく突き返されました。
ううむ、密教って厳しい。
けれど、これが修行ならきっと何とかなるはず。

とあまり深く考えずに構えていました。
肝が太いのか、鈍感なのかわかりません。

その数日後、私は、京都在住のお客様に何かの話の流れで何気なく宇賀神さまの話をしました。
するとどうでしょう。

『たぶんあそこではないかと思うので、近々行って確かめてきてさしあげましょう』
思いがけずそんなご厚情にあずかることとなりました。

お客様が私に宇賀神尊像のある仏具店を教えて下さるまでの間、私の体に異変が起きました。
時折、肩甲骨の辺りを何者かがグイっと押すのです。
気のせいなどではなく、かなりの圧力でした。

師僧に打ち明けると、こともなげに『それは宇賀神さまである。君に早く連れに来い。と仰っている』という返事。
とんでもないプレッシャーの日々でした。

仏さまからアプローチされたのは、聖天さまの時に次いで2回目。
※謎の兄弟子ジザイの巻

ご縁ある仏さまというのは、私の場合は必ず先方から私にちょっかいを出されるというパターンです。
ご本尊さまの時には、寝言で不動明王真言を唱えていました。

私の体や精神は私のものだと思っていましたが、全く私だけのものではないのだな…という、捉え方によっては末恐ろしい体験がこの時から始まっていきました。


後日お客様は、わざわざバスに乗って、見当をつけてくださった仏具店に行って下さいました。
そしてあっさり、師僧が探し回っていた宇賀神さまは、加行を与えられてから2週間経たずして発見されました。

お客様ありがとうございますm(__)m

師僧は確かに「急ぎで探して見つけろ」とは言われましたが、「必ず何としてでも一人の力で解決しろ」とは仰いませんでした。
協力プレイも加行クリアとしてカウントして頂きましょう。

盆明けに銀の宇賀神さまは赤不動明王院に、新しいオタラと共においでになったのでした。
そんなこんなで、私にとって宇賀神さまは特別な存在です。


今年に入って、拝み込んでいるうちに宇賀神像に瞳が出来ました。

宇賀神さまは秘仏ですので、いつでも気軽にお見せ出来る仏像ではないのが残念です。
仏像というものは、単なる美術工芸品や信仰の象徴・拠り所だけでなく、もっと不思議な意味深いものであることを、私は宇賀神さまの瞳から教わりました。

宇賀神さまとのエピソードはまだほかにもあります。
それはまた別の機会に。



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by masumi-inari | 2017-01-20 21:00 | 弟子が荼枳尼天を背負ってやってきた
感応した剣

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今年に入って、三鈷の柄がついた両刃の尊剣(真剣)を師僧より賜りました。
※登録済みです

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慈優所蔵 荼枳尼天尊剣
こちらの画像はまだ三鈷の柄をつける前、開眼供養前の状態です。

所有してから、危ないのでしばらく高ーいところに保管しておりましたが、このたびある命を受けて病気平癒の為に宝剣加持を毎日するようになりました。

私が病気平癒祈祷をしている方は現在二名さまです。
いずれの方からもお金等は一切頂戴致しません。
これは私の行の一環として「させて頂くありがたい経験」なのです。

お迎えしている祈祷本尊さまごとに、2人分刀を振るいます。
するとどうでしょう。
先ほど確認したところ、あれほど入念に手入れをして我が家へやってきた両刃剣が、錆だらけになっていたではありませんか。

絶対に師僧に怒鳴られて殺される。
大阪湾に浮かぶんだろうな~(;´・ω・)辞世の句が思い浮かばないぜ。と思いながら、覚悟を決めて電話。

3月に赤不動明王院に行った際、ちょうど病気平癒の宝剣加持に随喜させて頂いていたので、私は穴が開くほどその様子を真横で観察させて頂きました。

そうだ。私も自分の尊剣を持ってる!
覚えて帰れば使えるんだ。
私の目は危険なくらいキラキラしていたと思います。
前のめりに護摩の焔の方に身を寄せていただけでも、「恐ろしい女だね、君は」と言われた私ですが😅

『あちゃ~。やったの・・・。うーん。色んな剣が反応していたんだけど…』

え?
ええ?
まだ私、やってはいけなかったんですか?
でも、真剣を握ってやっていた訳ではなく、お茶を飲みながら教えて頂いた、××と観想による剣で祈祷していたのですよ?


あまりに私が打ちひしがれていたので、思いのほか師僧は優しかったです。
そして『高い勉強になったな。これで刀の怖さが分かっただろ。日本刀は本当に扱いが難しいんだ』

しかし、こうも仰いました。

『お前の祈祷にご本尊さまが感応されたの。それは誰にでもできる経験じゃない。
あれだけ手入れした刀、お前の処に渡って1カ月もしないうちに錆だらけになるはずはねぇんだ。
経験として落し込め。自分が経験したことは、言葉に重みが出るじゃねぇか。
良かったよ。学ばせて頂いて』


本当です。
祈祷させて頂けるありがたさ。刀を扱わせて頂けるありがたさ。

そして、万物が永遠ならざることを、日本刀の扱いの難しさを教わったこと。

全てにただ感謝です。

私は今に至るまで、自分が「ああ、私はいま観想出来てる。めっちゃリアル~(^^♪」等と実感しながら何かしている訳ではありません。
それでも決めた目標には到達させて頂けて、剣も反応し、ご本尊様も感応してくださった。

霊界は私にこれらの体験を通じて、何を教えようとしているのか。
私に何を學ばせようとしているのか。
そして私に何をお役目として授けようとされているのか。

静かに俯瞰してみました。
…恐ろしいです…
ですからまだ言葉にしてアウトプットすることは遠慮しておきます。
ただ、私が感じ取ったことは、今後眞澄稲荷の運営を通じ、生涯をかけて実践していく所存です。


…で、私はこれから毎日泣きべそをかいて手入れに励みます。
研ぎに出したら1回30万~。

眞澄にそんな余力はありません。ガンバガンバ。

そして私は、めげずに明日も加持します。
だって行者だもん。

※この記事は今年の3月に前ブログに掲載していたものに加筆致しました。
現在も継続して3名の方へ無償で宝剣加持を毎日致しておりますm(__)m
ただ、それは師僧のお許しがあった方に限られます。
私が独自で承ることは出来ません。

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by masumi-inari | 2017-01-19 21:00 | 弟子が荼枳尼天を背負ってやってきた
「お前は男でも女でもなく、一人の人間だ」

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師僧の原稿に、度々「不思議ちゃんになるな」という表現が出てきます。

この道の修行をする前後から、格段に超常現象やら怪奇現象やらに見舞われるようになり、いいことも悪いことも(いわゆる被るという奴)をたくさん経験しました。

師僧からも『これから色んなことが起きる。まぁ、楽しみにしてなさい。ヒヒヒ。何かあったら連絡するように。その都度祓うから』という愉快そうなはなむけの言葉を頂きました。

で、いちいち超常現象が起きる度に「こんなことが起きました」と報告していた訳です。

その中には『気のせいです(笑)』というものもありましたが、すぐにラインやメールが返ってきて『詳しく説明しなさい。それは大事なことです』と、腰が引けるくらい真剣な質問に発展することもありました。

それか問答無用で電話が掛かってきたことも(;'∀')

この場合、師僧の指示は2パターンありました。

・俺がやってもいいけどよ、面倒くせぇから君がやりなさい。やり方は教えてあげるから。

・それを写真に撮って送りなさい。こちらで処理します。

そのあと「これは一体なんでしょうか」と聞いたとき、教えて頂けたものもあります。

が、『まだ君には話さない。不思議ちゃんになったら困るからな』『まったく女の弟子っていうのは、すーぐいいお知らせだと思いやがる』『早くお前の泣き顔が見てぇよ』『嫌ならやめちまえ』
とか言われることもありました。

これにカチーン。とくる私です。
男だ女だ、というラベリングには我慢がなりません。

だから、弟子になりたいという人や、弟子になりませんか?と言われて喜んでいる人を見る度に、初期の頃は「なんでそんなことを喜ぶの?どんな毎日が待ってると思うの?あんたヴァカ!?馬鹿なの?」と思ってました。
「やめときやめとき。信徒でいる方が絶対にいいから!!」とも。

※いま私が直接交流のあるお弟子さん仲間に対しての事ではありませんm(__)m

しかし私のような扱われ方をするお弟子さんは少数派だと知りました(笑)
それがいわゆる行者コースと毎日の暮らしに學びを活かす在家弟子コースの違いでしょうね…。

それからは、心穏やかに「學びを深めること、ご本尊さまと仏縁を結ぶことですから、何も心配はございません」と説明するようになりました。

最も、私と同じ行者コースの弟子仲間には、そんな生温い事は言いません。

知る限りの行者コースの弟子仲間は慈行さんだけでした(笑)←一番の被害者。



閑話休題。
そんな言葉を投げつけられるたびに私はこう思ってきました。

ぜってー、やめねぇし。
第一、辞めるなんざ言った覚えがねぇよ。
絶対にその固定観念を外させてみせるぜ。



その結果、本来の負けん気の強さにターボがかかり、あっという間に「赤不動明王院の狂犬」が出来上がりました。

師僧は師僧で、霊視で私が自分をキッと睨んで歯向かってくるのが分かったそうです😅
涙を流して打ちひしがれるような人間ではありません。

うちの母は男社会で揉まれてきた薬剤師です。

私は子守歌代わりにずっと、こう言い聞かされてきました。

「いい?女はね、男の三倍努力しても認めてもらえないの。それでも絶対に負けてはダメ!
どんな手を使ってでも足を引っ張って引きずり降ろされようとしても、くじけるんじゃないよ。
歯を食いしばりなさい。
涙なんか流したら負けだからね。
誰にも文句を言われないようになるまで、這いつくばっても頑張りなさい」


それは、そのまま母の人生の軌跡を表すものでした。

ですから、私が「おめーみたいに短気で気の強ぇぇ女はキライだ」と師僧に言われるのは、育ち方に問題があるとしか言いようがありません。

その甲斐あって、 荼枳尼天さまとの約束を無事果たした後、師僧からはこんな言葉を頂きました。

「お前は男でも女でもない。後藤慈優という人間だ」

私の中で無駄にがむしゃらになっていた部分を見て、師僧なりにちょっとストップをかけたというか、一旦ピリオドを打ってくださったのでしょう。

最近ではこんな言葉も師僧の口から出てくるようになりました。

『全く。お前は身体が丈夫な方じゃないんだから、寝る時には寝て、食べるものは食べること。いいね!?』
『いつも空元気で嫌になる。困った時には素直に相談しなさい』

鬼の永作もヤキが回りましたか???
はねっかえりの狂犬女弟子…それが後藤慈優という女です。


僧侶の世界も男社会だと思います。

その中で一人ワーワー大騒ぎをして、男女同権を叫ぼうとかそんな大それたことはするつもりありません。
あくまで私の内面という狭苦しい世界の中での一人だけの戦いです(笑)

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by masumi-inari | 2017-01-18 21:00 | 弟子が荼枳尼天を背負ってやってきた
結縁勧請で視えたもの

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密教では、行を希望する場合にはその都度結縁灌頂が必要です。

確かに印や印言はネットや専門書を調べれば、ある程度のところまではつかめます。
しかし肝心なことは口伝なのです。

公に調べられる情報がほんの一部であることがわかれば、「誰にでもすぐできる密教の○○」を鵜呑みにして実行することが、いかに危険なのかよくわかるはずです。

((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル


これは、わたくし慈優が孔雀明王尊との結縁をして頂いたときの話です。

読経が始まると、私の視界のすぐ右手に焔が見えました。

それを見た瞬間、「この法を私が伝授されることを、ご本尊様が許して下さったのだな」と察しました。
ありがたいなぁ…と思っていると、その焔の中から利剣が現れました。

その利剣に焔が絡みついていくではありませんか。

その焔が龍になったとき、もしやこれはあれでは…?と気づきました。
私が霊視した「あれ」⇒倶利伽羅剣(くりからけん)

どっしぇ~(;'∀')

それが消えると、立派な屋根のような飾りがついた厨子が見えました。

この中にいらしゃるご尊像と、縁結びをして頂けるのですね。
ありがとうございますm(__)m

その厨子は消え、しばらく穏やかな状態に入りました。

再び厨子が現れたとき、ふと「もしかしてこれは仏さまがお乗りになる車では?」と閃きました。
その名前がなんだかわかりませんが、送迎の車です、車。

結縁が終わった後、私へ三鈷剣をお迎えしないか?との話が師僧から出て戦きました。

あまりにも身近になると、つい忘れてしまいますが、うちの師僧は霊能者でしたね。

そんなこんなで、また修行本尊が増えたのでした。


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by masumi-inari | 2017-01-17 21:00 | 弟子が荼枳尼天を背負ってやってきた