2017年 12月 07日 ( 1 )

心の在り方

永作師僧より 勧進のお願い

院主より、勧進のお願いを致します。

このたび、赤不動明王院では、ご本尊さまである赤不動明王尊の尊剣、
並び護摩壇法具を謹製させて頂く運びとなりました。

不動尊剣は刃渡り80cm、全長1mを越える豪剣であります。

皆様の御厚意を賜われば幸いであります。
これはお願いであり、決して強制ではございません。

ご寄進くださったみなさま方へは、宝剣にて特別祈祷をさせて頂く所存でございます。

金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


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【赤不動明王院】 勧進のお願い


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人間に生まれて一番の悩みは、心の在り方ではないだろうか。
例えば、自分が諍いの種を蒔いたにも関わらず、傍観者を気取って当事者を憐れみ、傍若無人に振る舞う者も居る。

聡明な読者諸氏にはお判りだろう。
一言、自分が発した言葉を忖度した、仲間が先走った行為である。

忖度(そんたく)とは
他人の心をおしはかること。また、おしはかって相手に配慮すること。

デジタル大辞泉より

全ての責は自分にある。と泰然自若たる態度で臨めば、事はこじれず解決に向かったのではないだろうか。
そして、自分を慕う者を救う結果に成ったと考えます。

真実は小説より奇也。
真実を語るには痛みを生じるが、厚顔無恥に陥入るよりはマシだと私は考えます。

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昔の武士の思想は、恥を知る思想にある。
葉隠に曰く、武士道とは死ぬ事と見つけたり。
命を惜しむな名を惜しめ。

正に、恥を知る思想であり、私は見習いたい。
食べる為に恥を行うのであれば、武士は食わねど高楊枝。
童子であれば、腹が減っても脾もじく無い。

正に心の在り方である。
正しく信念を持って活きる時、天は見放しません。

淡々と正義を貫く時、真実は表面に現れ、悪は阻害される社会が形成されるであろう。

自身の位置は他が守り、他の位置は我が護る。の思想は、今の日本では絵空事になりつつある。
正に殺伐としか言えない。

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葉隠
江戸中期の教訓書、武士の修養書。
正しくは『葉隠聞書(はがくれききがき)』、別名『鍋島(なべしま)論語』。

書中の「武士道(ぶしどう)と云(いう)は、死ぬ事と見付(みつけ)たり」という一句はとくに有名。

肥前(佐賀)鍋島氏の家臣山本神右衛門常朝(じんえもんつねとも)(1659―1719)が武士の生きざまについて語った談話をベースに、門人の田代陳基(たしろのぶもと)が歴代藩主や戦国武士たちの言行録や聞き書きから採録したものを加えて整理し、前後7年をかけて書冊にまとめたもの。

(中略)
儒教的な士道論からみれば、極端というべき尚武思想に貫かれているので、藩中でも禁書・奇書の取り扱いを受け、公開を禁じられた。
明治中期以降、再認識され、広く一般にも読まれるようになった。

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

考えて頂きたい。
水は高きから低くきに流れ、上流の水が濁れば、下流の水は腐敗する。

親が子を食らわば國は滅ぶ。
真実が歪曲されれば悪業は栄る。
今が目覚める時ではないだろうか。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

自分の身や立場を守るため、自分に関わっている者、特に弱い立場の者、反論できない者に罪を被せて正義の味方や被害者を装う人は少なくありません。
そのような人は、自分が引き起こしたことの重大性にいち早く気付いたからこそ、その場から安全地帯に逃げたい一心です。

うまく逃げおおせたと胸を撫で下ろしながらも、心中は穏やかならず。ではないかと思います。

責任ある立場、高い地位にいる人間は、悪意を持って近づく人もいますが、無条件に「あの人の言う事ならば間違いないだろう」「あの人のする事には意味があるに違いない」と、周囲の者が勝手に期待するきらいがあります。

自分に対する良い印象や期待を逆手に保身に走るのは、とても愚かしいもので、ひとたびこの腹の中を見透かされるや自分に対する信頼は地に堕ちます。
反面、弱い立場、人から常に強い言葉を投げられる側としては、自分の正当性をいくら訴えても取り合ってすらもらえないという苦しい状況がままあります。

しかし、その場面だけを切り取るのではなく、俯瞰でものをみることの出来る人は、普段からのその人の言動を見ています。

真偽のほどが明らかではない様々な情報が飛び交う状況下にいるとき、勇気をもって真実を貫くというのは本当に辛く難しいものです。

ではありますが「自身の位置は他が守り、他の位置は我が護る。の思想」を自分の中に落し込み、真に責任感のある人間として、地に足をつけて生きていこうではありませんか。

真実を貫き続ける過程で、人は離れて行ったり、自分を誹謗中傷したり、様々な迫害にあって生活が困窮することもあります。
私にもありましたから、これがきれいごとではないことは体験上よく知っています。

けれど、自分を救うのは真実を貫く勇気と孤高に生きんとする精神なのです。

今日もありがとうございます

感謝合掌
後藤慈優



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by masumi-inari | 2017-12-07 06:00 | 赤不動明王院便り