2017年 10月 23日 ( 1 )

涙は心の汗

永作師僧より 勧進のお願い

院主より、勧進のお願いを致します。

このたび、赤不動明王院では、ご本尊さまである赤不動明王尊の尊剣、
並び護摩壇法具を謹製させて頂く運びとなりました。

不動尊剣は刃渡り80cm、全長1mを越える豪剣であります。

皆様の御厚意を賜われば幸いであります。
これはお願いであり、決して強制ではございません。

ご寄進くださったみなさま方へは、宝剣にて特別祈祷をさせて頂く所存でございます。

金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


↓詳しくはこちらの記事をご覧ください↓
【赤不動明王院】 勧進のお願い

d0359990_10410028.jpg

涙。
涙を流した事の無い人は居ない。
悔し涙、喜びの涙、悲しみ、哀しみの涙、そして最後に到達する涙が感動の涙である。

人間には、感動の感情があるから學べるのである。

数式だけに捉われて感情を無視する時、そこには感動は皆無である。
人間は、様々な感情内での紆余曲折を味わい、自身を形勢し、我慢と言う感情を身に着けて行くのである。
我慢は、自分を律する事が出来なければ鬱積した感情に成るので、良い結果は生まれ無い。
その逆に、自分を律して凛として生きる時、自信と誇りに変わり変貌するであろう。

仏教で「慢」は、思い上がりの心をいい、その心理状態を七つに分けたものが「七慢」と言います。
七慢とは下記の通りです。

1、慢とは、他と比較しておごり高ぶること。
2、過慢とは、自分と同等の人に対し、自分の方が上だと思うこと。
3、慢過慢とは、自分より優れた者に対し、自分の方がもっと上だと思い誤ること。
4、増上慢とは、悟りの域に達していないのに、既に悟っているという自惚れの心。
5、我慢とは、自分に執着することから起こる慢心のこと。
6、卑慢とは、はるかに優れた者と比較し、自分は少ししか劣っていないと思うこと。
7、邪慢とは、間違った行いをしても、正しいことをしたと言い張ること。

諂 (てん)とは、「へつらい」の心です。
自分だけの利益や世間の評判を得るがために、他者をだまして迷わそうとして、人に媚びへつらい等など従順を装い、人の心を操縦する心である。




d0359990_10410321.jpg

しかし昨今は、我慢を美徳と捉えられない様である。
争い、上回る事にしか興味が無い様に見えるのは私だけであろうか。

殺伐の中からは何も生まれ無い事に早く氣づき、自身の中に感動の涙を受け入れ磨く時、あなたの人生は一変します。

d0359990_10410545.jpg
氣づく事に速い遅いはありません。
氣づいた時が始まりなのだから。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

師僧の言う我慢とは、「自分を律する事が出来なければ鬱積した感情に成る」という意味で、まさに自分に執着することから起こる慢心であると私は考えます。
決して、他との調和、自制心を持って引くべき時は引く。ことを慢心という訳ではありません。

時々、人様との会話等の中で『自分はこれだけしたのに思うような結果が出ない。腹立たしい。許せない』という事を仰る方がいます。
それはまさに、自分の中で「譲歩してやっている」「我慢してやっている」のに、思い通りにならないからむかつく。という意味に聞こえます。

自分が望む結果になるために、~してやっているんだから、~なって当然。
これは傲慢な考え方に他なりません。

昨今の事件事故は、この驕り高ぶりと、ハンドル握った人の変身願望(さも自分は強くなったかのような錯覚を伴う)が掛け合わさった、非常に危険なものであると思います。

(この)私が、相手(ごとき)に譲ってやったから、(当然)思い通りになる(はずだ)
(この)私が、相手(ごとき)にごまをすったから(当然)思い通りになる(はずだ)
(この)私が、相手(ごとき)に貢物をしたんから(当然)思い通りになる(はずだ)

言下に発信しているメッセージは、意外と卑劣で強烈。
しかもストレートで暴力的です。
その前提に、他をバカにして見くびっている自分の愚かさが横たわっていることに、気付かなければならないのではないでしょうか。

今日もありがとうございます
感謝合掌
後藤慈優



[PR]
by masumi-inari | 2017-10-23 06:00 | 赤不動明王院便り