2017年 10月 01日 ( 1 )

加行に挑む

永作師僧より 勧進のお願い

院主より、勧進のお願いを致します。

このたび、赤不動明王院では、ご本尊さまである赤不動明王尊の尊剣、
並び護摩壇法具を謹製させて頂く運びとなりました。

不動尊剣は刃渡り80cm、全長1mを越える豪剣であります。

皆様の御厚意を賜われば幸いであります。
これはお願いであり、決して強制ではございません。

ご寄進くださったみなさま方へは、宝剣にて特別祈祷をさせて頂く所存でございます。

金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


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【赤不動明王院】 勧進のお願い

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弟子と成り加行を与えられる者は多いが、挑む者は少ない。
言葉の上では理解し難い方の為に解説すれば、授業は誰でも受けられますが、自身が望んで受ける人は少ないであろう。

何故ならば、義務と望むとの違いである。
例えば、やらされている意思は、心に自由は芽生えません。

その逆に望んで行う場合、幾多の試練に遭遇しても、創意工夫と信念により打開されます。
言わば思い入れの強さの度合いである。

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始めから《自分など、私なんか》と自身を決め付けてはいけない!
本当の意味で言えば、人間の能力の差など微々たるものである。

違うのは、思い入れの強弱だけである。
私など幼い頃は虚弱児童、三歳まで歩けませんでした。
しかし、父母の愛を受け生きられました。
そして今があります。

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自身に甘える事無く、重ねる事に真があります。
重ねる事を嫌い、怠惰、甘えに生きる時、答えは明白であり、込めて生きる事の大切さを悟ります。

私の新参弟子である弟子の中でも、群を抜いて居る者も居ます!
女性の身でありながら、他に類を観ない御本尊様を自力で建立し、現在は稲荷杜の斎主である。

其処に至るには、様々な試練と涙ぐましい努力があります。

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お金があれば誰でも出来るほど甘く無いのが、全てに共通する事では無いでしょうか。
成し遂げるには、挑む心と不退転の覚悟が必要であり、學びが不可欠である。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

もうじき、聖天法の1000日行が折り返しの500日目を迎えます。
それに先立ち、純銀製の十一面観音さまをお迎えしました。

これからの500日目は更に行を深めていきたいという思いがあり、師僧に相談させて頂いております。
私は稲荷行者になる志を持っていますが、行という関わり方では聖天さまとの方がお付き合いが古いことになります。

女性の聖天行者はいないと聞きましたが、「なぜ女性がダメなのか?それについて経典は何も書いていない。常識や思い込み、軋轢、迫害。そんなつまらないものに怯むな。挫けるな。俺の弟子だろう」という感じで、グイグイとご指導いただいて今があります。

とはいえ、入門当時は「これだから女の弟子は云々」と言われ、負けん気だけが強い私は「なんだと?その言葉をいつか絶対に翻してやる」と誓ったものです。
寺が、僧侶が、仏教の世界が、いや広く宗教そのものが男尊女卑だと言われてきました。
そのように聞いてもきました。

ですが、自分が女として生まれてきて、仏門に入ったということは変えられない事実です。
そして、それがハンデだとも、屈辱だとも、不利だとも思っていない私です。

だから、何くそ。という思いでいました。
負けたとか、敵わない。と思えば、そこで自分は負けると。
私が負けた、無力だ、非力だと思わない限り、戦いは終わりません。

男の世界で敵が男かといえば、そうとも言い切れないのが世の常です。
女の敵は女だなぁという事に様々な誹謗中傷等を受けて感じています。

だからといって、自分がされたことを他の同性にするつもりもありませんし、かといって異性におもねるつもりもありません。
そういう事にいちいち拘泥するのは、愚かで小さい事だと気付かされたのが、この一年の學びといえば學びだったと思います。

そして、私が女であるということで、これまで一度もご神仏さまから見下されたり、軽くあしらわれた経験もありません。
約束が果たせなければ命を奪われていたという事に関しても、一切の手加減もなかったわけですから(笑)

全ては自分次第。
祈祷寺は実力だけが勝負。

それはとても単純ですが、言葉を飾りようがない真実だと私は思います。


感謝合掌
後藤慈優




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by masumi-inari | 2017-10-01 06:00 | 赤不動明王院便り