2017年 09月 06日 ( 3 )

9月に入り、だいぶ過ごしやすくなりました。
本格的に學びの秋到来といった感じですね。

毎日睡魔やだるさと戦いながら、本や次第書、論文などを電子辞書を使いながら読んでおります。
進まない…。

今更ですが、電子辞書は優れものですね。
数種類の辞書をペンタッチで切り替えて調べられます。

国語辞典で探してない言葉を広辞苑で見つけたり、漢和辞典で見つけたり。
それでもピンとこない時にはネットで検索。
あっさり出てくることが多いです💦

それは熟語だったり、中国語の何かだったりと色々です。

今まで見知っていた単語だからと高をくくらず、改めて辞書を引いてみると新しい発見が必ずあります。
だから数行読んでは辞書を引く…という感じで、なかなか前に進みません。

それって熟語なのねぇぇぇえ。

とアタマ悪い私は一人で叫んでおります。

旧字を元に調べていて見つからない時に、モヤッとします。
究極的には、語学の時間に勉強したように「前後の文」を参考に推察するという手法←そんな大層なものではありませんが。を取ります。
そうしないと先に全く進めません。

わからない言葉をネット検索すると、必ず「これは読んでおくべき資料だろうな」という論文(PDF)に当たります。
そしてまたそこで立ち止まり、通読。

少し歩いては脇道に入り、少し歩いては脇道に入り…という感じ。
漢文の森と密教の森を交互に出たり入ったりして、早一か月が過ぎました。

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星供養の世界にも入りそうになり、「うん、ちょっと今は待ってくれ…頼む…」と片手で挨拶して通り過ぎたところです(笑)

とりあえず論文の類は、一日のうちでどの時間帯に読むのがいいのか思案中です。
第一候補はすべてが終わって寝るまで(というか意識が遠のくまでの時間帯)かな。と思っています。


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by masumi-inari | 2017-09-06 21:00 | 眞澄稲荷便り
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妹弟子の慈葉さんが、ダキニ天さまの香りについて、ご感想をくださいました。
丁子の香りを気に入って頂き、とても光栄です。

ご存知の方も多いかと思いますが、丁子とはクローブのこと。
スパイスの一種です。

大変強烈な個性のある匂いですので、ごくごく少量用いることで香りに独特の表情と奥行きを持たせてくれます。

この香り大好きです♥
最初に香る丁子の香りが好きすぎて(笑)いつまでも嗅いでいたくなります。

液体の塗香として、礼拝前に手にちょっとだけつけて香りを塗り広げていますが、爽やかで甘すぎない角のない香りに癒されます。

沈香や白檀は単体(といってもお線香でしか知らないのですが)でも好きな香りですが、慈優さんの手で絶妙に合わさることで、ライトなのに奥深い香りになっていると感じています。

華やかなのに落ち着く、よく広がるのにしつこくない。
居間のすみに小さなテーブルを置いて礼拝しているのですが、食事前とかお線香の香りを残したくない時ように、スプレーにしてほんのり香らそうと思っているのですが、無水エタノールの購入をいつも忘れてしまいます(-_-;)

日々のお勤めの前にご利用いただいているのですね。
とても嬉しいです。
ありがとうございます。

塗香がない方、塗香が苦手な方、液体で塗香があったらいいなぁと思ってた方…等にお迎え頂ければ幸いです。
ダキニ天さまをお迎えでない方であっても、ご利用いただいて問題はございません。

密教の世界を香りの扉から親しんでみて頂ければ幸いです。

慈葉さんがお迎えくださったのは管瓶タイプ(画像右の筒状の小瓶)ですが、15mlの無水エタノールで希釈したルームスプレータイプもございます。








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by masumi-inari | 2017-09-06 13:00 | お客様からの手紙

運を引き寄せる

永作師僧より 勧進のお願い

院主より、勧進のお願いを致します。

このたび、赤不動明王院では、ご本尊さまである赤不動明王尊の尊剣、
並び護摩壇法具を謹製させて頂く運びとなりました。

不動尊剣は刃渡り80cm、全長1mを越える豪剣であります。

皆様の御厚意を賜われば幸いであります。
これはお願いであり、決して強制ではございません。

ご寄進くださったみなさま方へは、宝剣にて特別祈祷をさせて頂く所存でございます。

金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


↓詳しくはこちらの記事をご覧ください↓
【赤不動明王院】 勧進のお願い

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様々な開運法を眼にする時、何時の時代も開運を求める人が多く存在した事に氣づかされます。
今日その開運に就いて語って参ります。

開運で最も大切なのが正心であります。
幾ら開運を求めても、邪心が合っては叶いません。

①自分勝手な行動を慎む事。
②他を思い遣り行動する事。
③弱者に優しい行動を心がける事

この三つを実践するだけで、あなたの開運は約束されたも同然です。

古来より、開運法には法則がありますが、どんな法を用いても叶わないのは、願主が邪心に捉われ正心を忘れた時、破断します。
ここで大切なのは、正心を保ってつまらない事に奪われ無い自分を確立する事です。

金銭は追えば遠ざかり、待てば訪れず。
私の経験で言えば、授かるのであります。

努力を惜しまず勤勉に勤める時、必ず開きます。
開かぬ扉など無いのです。

泣いても良い、怒っても良い。
しかし、負の感情を持ち続ける時、開運は遠ざかります。

開運は闇を嫌い、正を欲するのであります。
正とは、明、光です。

自分の中に闇を宿して開運を願っても本末転倒と云わざるを得ない様に、他人を誹謗中傷する者に開運などあり得ません。

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その逆に、正しく明るく生きる者に贈られるのが開運であります。
開運とは言わば、天からのご褒美なのです。

幼い頃、頑張った時、母から貰うご褒美に笑顔があった様に、頑張った証しが開運に繋がるのです。

苦境に有る時は辛抱と云う頑張り、辛く苦しい時は學びと云う頑張り。
しあわせな時は感謝を忘れず、正心を養う頑張りに開運の扉は開かれます。

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今、私の元には、沢山の方々が學びを求めて御いでに成ります。
その中のお一人の方は、つい先だってまでドン底を味わい自殺まで考えた方ですが、今は生き生きとして未来に向けての努力を重ねておられます。

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御仏は、私達に耐えられ無い試練は御与えに成りません。
絶望は愚か者の結論です。
絶望する前に、最後の頑張りを決めるのはあなた自身なのです。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

自分が運に見放されていると思う⇔他人は楽をしていい気なものだ。
自分ばかりが損をしていると思う⇔他人は楽をして美味しい思いをしている。許せない。
自分ばかりが妨害されていると思う⇔他の人の幸せは、自分が犠牲になってやっている上に成立している。

等、誰の心の中にもうまくいかないとき、こんな荒んだ感情が浮かぶことがあります。
しかし誰かを妬んだり恨んだり、足を引っ張ってやろうと画策して誹謗中傷している時、誰が一番傷つくか。

それは誹謗中傷されて信頼や取引、商売、人間関係が破たんした相手の人なのでしょうか?
確かに生活や商売、取引、仕事、人間関係が一時的に大打撃を受けることはあるでしょう。

しかし一番傷つくのは、その毒を吐いた自分自身であると私は考えます。
自分が誰かに対して発した毒は、その相手が受け取らなければその人の不幸にはなりません。

その人がされたことに対して感情的に反応すれば同じ穴のムジナ。
あなたの術中にはまったと言えるでしょう。

しかし、「ああ、浮かれるなというお示しだな。もっと自分を顧みなさいという學びだな」と昇華すると、その毒はまっすぐ自分に戻ってきます。

そして自分が吐いた毒に溺れるまで苦しむのです。
開運?
そんな状況からは最も遠い言葉のように思います。

本当に辛いとき、本当に必死に生きているとき、周囲と自分とを比べているヒマはないのではないでしょうか。

あの人が~、みんなは~などと思う時、実は自分がなすべきことを充分に果たしておらず、自分だけが不幸で可愛そう。という甘えがそこにはあると私は考えます。
ましてやそれを口にするのは、「私は愚かです」と自分で恥をさらしているようなものではないでしょうか。
自分の状況について理解を求めるとき、第三者を巻き添えにしたり、踏み台にする必要はない。
そう思います。

真の意味で自分を大切にする人は、そのような言動を慎むものであるように感じます。

そして私は自分自身の経験から、ご褒美について想う事があります。
それは自分が期待していたり、想像してた通りのものを授かるとは限らないという事です。

その時は「これじゃないんだけどなぁ…」「うーん、うまく伝わってないなぁ」と思う事もありました。
が、その当時の未熟な自分には理解できなかっだけで、厳しい状況を乗り越えたり、考え方が変わったりしたときに「ああ、だからそうだったのか」と思えるような、自分の想像の斜め上をいくご褒美がもたらされます。

だから、それを「ありがたいこと」として受け止められるようになるためにも、自己成長は必要です。

人間関係が終わりになることも悪い事ばかりではありません。
何か新しいことを始めたとき、今まで親しくしていた人とそりがあわなくなって、「変わりたい。成長したい自分」と「これまで通りの関係」を求めてくる人との間で、複雑な思いをされる方もあるかもしれません。

しかし成長には痛みや戸惑い、試行錯誤がつきものです。
悩んでいるとき、うまくいかないと感じるとき、それは停滞しているのではなく、成長の過程に入ったというように捉えられると、視界が開けてくるでしょう。

今日もありがとうございます

感謝合掌
後藤慈優




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by masumi-inari | 2017-09-06 06:00 | 赤不動明王院便り