2017年 08月 26日 ( 1 )

人間関係《関わり》

永作師僧より 勧進のお願い

院主より、勧進のお願いを致します。

このたび、赤不動明王院では、ご本尊さまである赤不動明王尊の尊剣、
並び護摩壇法具を謹製させて頂く運びとなりました。

不動尊剣は刃渡り80cm、全長1mを越える豪剣であります。

皆様の御厚意を賜われば幸いであります。
これはお願いであり、決して強制ではございません。

ご寄進くださったみなさま方へは、宝剣にて特別祈祷をさせて頂く所存でございます。

金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


↓詳しくはこちらの記事をご覧ください↓
【赤不動明王院】 勧進のお願い

d0359990_10515949.jpg

愛の裏返しは、無関心と云う言葉の通り、関心を持ち関わる事は大変な力が必要です。
が、無関心からは何も生まれ無いのも事実であります。
言い変えれば、自身も無関心に成って行くのであります。

d0359990_14501195.jpg

良い事だけに関わりたい。
嫌な事には関わりたく無い。
それはあり得ません。

嫌な事を克服しようとする事が學びであり、魂を磨く事に繋がるのです。
もし全てが自分の思い描く様になれば、人生に學びは必要ありませんが、同時に達成感をも失うことに成ります。

d0359990_14563768.jpg

一般の方々は死を嫌うでしょう。
しかし、死から逃れることは誰にも出来ないのです。

何故、死を嫌い、死を怖れるのか?
死とは何かを理解しようとし無いから、闇雲に怖れ、嫌うのです。

d0359990_10542568.jpg

私は、現代風に言えば臨死体験を二度経験して居ります。
また、幽体離脱も数多く体験して居ります。
内容は書きませんが、私の今迄の経験を知る方々は、皆さん納得して居られます。

誰にも関わる事無く生きる事は不可能です。
例えばスーパーで買い物をしても、生産者、販売者に関わって居るのです。

仕事も同じです。
社長、上司、同僚、関わりの無い事象など無いのです。

d0359990_10543738.jpg

その逆に、自分が好きな人だけにしか関わら無い。と云う人が居たならば、可哀想な人です。
何故か?
自分から関わりたく無いと考えれば、相手も同じことを考えていると思って下さい。
若い内はまだ良いですが、高齢に成った時、上記の考え方の方は悲惨を味わうでしょう。

d0359990_10555562.jpg

しかし、全て自分が蒔いた種、蒔いた種は自分が刈るしか無いのです。
必要以上に濃密に関わる事は無いでしょう。

人間関係を円滑にする事は、協調性、感性、理性、その他、人間にとって必要な學びを得る授業なのです。

d0359990_14413743.jpg

心の傷を放念して忘却する時、あなたの中に學びの種が芽生えます。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

無関心とは、他人や周囲に対して関わろうとしなくなる事にとどまりません。
恐ろしいことに、自分自身に対して無関心になっていくのです。

人は自分の思った通りには行動してくれません。
最近「忖度」という言葉が市民権を得つつあるようですが、相手をおもんばかってしたことが的を得ているとは限りません。
良かれと思ってしたことが「なんてことをやらかしてくれたんだ。この馬鹿野郎」と怒りを買う事すらあります。

しかし、関わらないでいることよりはマシなのかもしれません。
ピント外れの行動であったとしても、その人の事を思い、考え、行動するという相手に向かって踏み出す行為がそこにはあるから。

世の中が悪だと思っていると、人によっては攻撃して自分が被害を蒙らないようにするかもしれません。
あるいは、一方的に自分を被害者に仕立てて相手を非難するかもしれません。
またある人は、自分の殻に閉じ籠って他人を一切拒絶しようとするかもしれません。

しかしそれはいずれも、正常な関りを自分から断つという事に変わりはないのです。

仏教とは、自分に起きたことも他者に起きたことも、自分に引き寄せて考えるものであると何かで読みました。
「まったくの他人事」はありえないのです。

他人の痛みを自分で感じる、想像してみる。それが心を寄せること、寄り添う事です。
現代社会は人間関係が希薄になり、仏教は信者同士のコミュニティ意識が希薄である。と先日、海外の友人から指摘されました。
それは一理あると思います。

しかし、なぜコミュニティ意識が希薄なのかを考えたとき、そこには學びがないからだと私は考えました。
生活という「面」で宗教に触れ合う機会がなければ、そこに學びはなく、人とのつながりも生まれようはずがありません。

私は行者として、生活という面で人さまと関わっていけるよう、日々精進していきたいと思います。
それは楽しい事ばかりではないかもしれませんが、寄り添い生きることを表現できる形のひとつだと考えるからです。

今日もありがとうございます

感謝合掌
後藤慈優



[PR]
by masumi-inari | 2017-08-26 06:00 | 赤不動明王院便り