2017年 08月 05日 ( 1 )

供養心

永作師僧より 勧進のお願い

院主より、勧進のお願いを致します。

このたび、赤不動明王院では、ご本尊さまである赤不動明王尊の尊剣、
並び護摩壇法具を謹製させて頂く運びとなりました。

不動尊剣は刃渡り80cm、全長1mを越える豪剣であります。

皆様の御厚意を賜われば幸いであります。
これはお願いであり、決して強制ではございません。

ご寄進くださったみなさま方へは、宝剣にて特別祈祷をさせて頂く所存でございます。

金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


↓詳しくはこちらの記事をご覧ください↓
【赤不動明王院】 勧進のお願い



供養とは、供え養う。
心とは魂である。

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私達の本質は霊体《魂》であり、肉体は魂を入れる器である。
世界の心霊科学では常識ですが、日本では理解に至って居ない。
未だ不思議を好み、科学しようとし無い《オカルト好み》

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正しく捉えた時、清々しい目覚めを知るでしょう。

先祖の意味、先祖の力、先祖の教え、先祖の愛、原点は此処にあるのです。
敬い尊ぶ心は日本人の大切な文化であり、忘れてはいけない心なのです。


文化は心が築き上げた宝。
心無くして文化は生まれません!

武器、兵器に頼る国に、文化は存在しません。
血を求め、闇に乗じて針を放つ愚か者に文化は理解出来無い。
其処にあるのは殺戮を好む獣の姿である。

我々日本人は、先祖を敬い尊ぶ民族であり、平和を愛し、家族を護ることを第一と考える民族では無いでしょうか。

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先祖の居ない人間など存在しません。
供養や信仰を否定する人が居ても、その人にも先祖は存在します。
但し、先祖を否定して自身の未来を望んでも、得るものなど無いと断言します。


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よく聞く話で、『先祖なんて関係無い』などと言えば今風、と感違いして居る人はそれで良い。
其れなりの人生を歩むで有ろう。
敢えて言及はし無い。


しかし今、信仰心を持ち、自身を磨く努力をして居る人は、依り拍車を掛けて學んで下さい。
必ず、その答えが示されます。

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奢り昂りを捨てて素の自分に帰り、學びの時に我が身を置く時、あなたにしか見えない、得られ無い体験があります。
それが、御先祖様の愛なのです。

私達は遅かれ早かれ、例外無く帰幽《死》します。
その時にハッキリ解ります。
學んだ者と拒否した者の差が歴然とする様を、観ることになるでしょう。

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不思議に走り、正道を嫌い行く末は、全て自身が招いた結果なのです。
蒔かぬ種は生えぬの例え通り、蒔いた種は自分で刈るしか無いのが真実なのです。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

今年も盂蘭盆会が近づいてきました。

御先祖さまのことを想い出し、活かされていることに感謝するタイミングはお盆時期だけではありません。
が、より一層、命のバトンの不思議さ、ありがたさに深く感じ入ることが出来る時期ではないでしょうか。


祖父が他界したとき、御坊様の説法でこのようなことを教えて頂きました。
「これまでは故人が存在しているという日常があった。今日からは故人がいないという日常が始まる」と。
しかし、目の前からいなくなったからといって、故人の存在が消えた訳では決してありません。
これは大きな、そして静かな衝撃を当時の私に与えました。

他界した祖父はどこへ行ったのか。
答えのひとつは「霊界」
そして答えはひとつではありません。

私の記憶の中にあり、血縁と言う意味では自分の血肉の中にも祖父は存在しづけていると考えました。
遺伝。それも祖父が生き続けている証。
私は母方の血が濃く、祖父によく似た母、そしてその母に年々似てくる自分の顔の中に、祖父をも見ます。

何より自分の中に生き続けている祖父とは、思い出であり、更に深く生き続けているのは「祖父から聞いたこと、教わったこと」です。
それは昔話であり、農作業の知恵であり、戦争体験であり、学問でもありました。

霊界にもって帰れることが出来るのは経験と感動だけ。とは師僧の言葉です。
そして置き土産に出来るのは、感動と知恵ではないでしょうか。

私たちもいつか必ず霊界へ旅立ちます。
その時に、残された者に素晴らしい感動と知恵を置き土産に出来るよう、心がけて生きていきたいと思います。

今日もありがとうございます

感謝合掌
後藤慈優




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by masumi-inari | 2017-08-05 06:00 | 赤不動明王院便り